Quantcast
Channel: 混沌の時代のなかで、真実の光を求めて
Viewing all 1047 articles
Browse latest View live

放射線健康不安~環境省・福島県(6)

$
0
0
(5)のつづき
 
放射線の健康影響に関する専門家意見交換会(第3回)
 
  ビデオ       2013年 12月21日(土)
   講師:鈴木眞一氏、津田敏秀氏      
 
  講師、専門家(県・市町村アドバイザー)による意見交換   2:42:20~
     司会: 環境省環境保健部放射線健康管理担当参事官 桐生康生 (厚労省出向)
 
 
  3.県民健康管理調査結果における 甲状腺癌の発生率について (続)
 
   □□: 非暴露集団で 甲状腺がんが 0、ほとんど出ていないということは、
     放射性ヨウ素によるものが 主な原因であって、空間線量率というのは
     これに どういう影響をしているのか、(空間線量はほとんど影響していない
     としか読めないが、空間線量率を受けて対策をとるという結論は、これに
     どう つながるのか?
  津田: 空間線量率が大きいとか すべてだと言っているわけではない。 私は
     空間線量率とヨウ素の影響が分離できていない と言っている。
     チェルノブイリの場合、空間線量率の高い所に そのまま住み続けられている
     のであれば、空間線量率の影響は 論理的に否定できる。 もしかしたら、
     空間線量率の影響が あるのではないかと  ヒヤリ としたのは、1年後なので 
     1年目より 多く見つかったのかもしれないにしても、もし これから増えていく
     とすると、思っていた以上に 2年目の中通り地区の甲状腺癌の検出割合
     が高かった・・・。 これは チェルノブイリ のデータ に頼っていただけでは イケナイ
     と思って、それで 詳細に検討する必要があると・・・。
     3年目どういう風になるのか というのも、重要な情報を与えてくれると思う。
      とにかく、今 実際に 空間線量率ある程度高い所に住み続けられている方
     がある以上、この問題というのは 不十分なデータの中で 突き詰めて議論
     していくべきだと、私は考えている。
      空間線量率によってか ヨウ素によってかわからないが、(甲状腺がんが
     多発傾向にあるということを ある程度 認識して、全てが終って 因果関係
     があるのかどうかはゆっくり議論したら良いとして、今 この時期でやるべき
     こと・議論すべきことは 何なのか ということを提案させて頂いた。 
                                           ( 2,3 拍手
                                           参考:  チェルノブイリの長い影 ⑦
 
  □□: 私(本宮市のアドバイザー)も空間線量率が高くても良いとは思っていず、
     ・・・、ただ 甲状腺癌と空間線量率との関係でいうと、先生の話を聞いても
     納得できるものではない。
           福島県本宮市-Yahoo!地図
            地図画面右上の「地図 ▽」を開いて「情報を重ねる」欄の「放射線情報[災]」
              に✔を入れると、詳細な汚染地図になります。
   津田: WHO報告書で ある程度 考えなくては イケナイ なという理由でもあります。
             ⋆ WHO報告書 2013年2月28日
              Global report on Fukushima nuclear accident details health risks
 
   大平哲也(浪江町アドバイザー):有病率と発症率を比較したために 見た目では
      物凄く高くなっている。 これを多発と 本当に言って よいのかどうか?
      臨床的に出た発症率(発生率) と (健康管理調査の)有病率と、有病期間
      を考慮したとしても、そもそも 発生率と超音波検査の発見率の違うもの
      を比較しては イケナイ んじゃないかと思う。
      もし、やられるのであれば、福島県内の平成23年度の被災地域の乳幼児
      と、二本松・本宮の乳幼児を比較するというのであれば まだしも、全体的
      な 100万人に 5人という値と比較するというのは、誤解を与えるので ぜひ
      避けて頂きたい。
              大平 哲也氏 - 福島区社会福祉協議会
              ※ 有病率(prevalence)  http://www.rerf.or.jp/glossary/prevalen.htm
                発生率(incidence罹患率) http://www.rerf.or.jp/glossary/incidenc.htm
                中通りの地方の現在の被曝量、100m㏜以下でのリスクはどれ位なのか、
      甲状腺癌の発症率が何名なのか? 実際に 100万人に5名に当てはめた
      場合 何人増えるのかを教えて頂きたい。
   津田: 恐らく、それは バックグランドの違いですね。私は アウトブレイク 疫学なんです。
      今、何を考えて 何を議論しなくてはならないかです。・・・
      もう少し経つと、ヨウ素には それなりに曝露しているが 空間線量率は
      高くない いわき市や、ヨウ素も それ程高くないかもしれないし 空間線量率
      も高くない会津地方のデータも出てくる。 それで比較して、(講演の中で
      2回ほど強調したが、100万人に 5人という比較は要らなくなる。データが
      どんどん増えてきたとき、必要なくなるからです。
   大平: 100万人に5人ではなく、データが出てくるまで待って、地域比較は行う
      べきだ。 さらに、地域比較で ・・・(聞き取れず)・・・因果関係を論じていい
      のかというのは疫学界の常識だったと思うがどうか? 個人の線量でなく
      ・・・機関のデータで因果関係を推定していいのですか? 
   津田: はい、イイです。
   大平: 他の要素(リスク)というのは まったく排除していますよね。
   津田: インストルメンタル・バイアルの考え方です。むしろ こちらの方が正確な影響
      の程度を推定します。教科書を読んでください。先生 専門家じゃないから
      私が ある程度専門家であるということを信じてもらわなければ どうしよう
      もない。私が 高く見せよう見せようとしているように努力しているように
      言われているが、私は 高くて困っているんです。で、低く見せよう見せよう
      としているんです。
   大平: 中通りの線量で甲状腺がんは どれくらいのリスクで発症する可能性が
      あるのか、 100万人当り 5人の甲状腺がんが どれくらい増えるのか?
   ・・・
   津田: ・・・ 30.98倍だと 言っているじゃないですか!
   大平: 先生は 100m㏜以下でリスクが上がると・・・、今の5m㏜以下の線量
      の中で、実際 どれくらい・・・
   津田: 先生は 5m㏜というのを信じておられるから、・・・ WHOは違う値が
      出ている。
   大平: 分りました、20でも 30でもイイですから、先生が考えている中通りの
      線量で どれ位の甲状腺がんが起こると、先生の推計でお話し下さい。
   津田: だから、(100万人当り)5人で 30.98倍という数字が出ているじゃない
      ですか! (4)
   大平: ということは、100m㏜以下の線量で、例えば 甲状腺がんが 30倍もの
      罹る リスクがあるという、これまでの・・・。
   津田: 先生、先生ね。 リスク と リスク値というのが ゴッチャになっていますから、
      先生が言っていることは、 ・・・(聞き取れない)・・・。
   大平: ただ、教えて頂きたいだけなんです。
   津田: ・・・ とても・・・
                                       (会場 ざわつく
 
   春日: (穏やかに まとめる)             
                                   (会場から パラパラと拍手
   **: ベラルーシの非被曝集団のスクリーニングは 0。 (しかし) 2002年には
      出ている、0 じゃない。
      それと、伊藤先生の文献(5)で、Mogilev Bryanksが 0 となっているが、
      ここに書いてないが キエフは 約1万人に1人。1万人に 1人 と 1万人に
             0 と、どの程度・・・? これを 100万人にすれば、1人は 100人になる・・・。
      これは?
   津田: 先に申し上げたようにドンドン文献を共有して、検診で 何人中何人くらい
             見つかるのかという値を示して、現在の福島の値と比較するというのは、
      非常に建設的だと思う。
    ・・・
   △△: これ( のベラルーシのデータ)は、同じ母集団を 毎年毎年検査したものか?
   柴田: むしろ、色んな所から報告が来て、それが だんだん増えていった。
      ・・・手術時年齢で どのぐらいの頻度かを出した ・・・。
      それで ハッキリと分ったことは、本当に被害があった人達は、当時 小児
      だった人。この人達が年齢が上がると その年齢の大人が高くなって
      いる・・・。
 
   早野: 今日は等価線量の比較が あまり話題となっていないようだが、
      埋め込み画像への固定リンク
 
     このグラフは 右側と左側では 刻みが等間隔でなく、物凄く 左側が強調
     されている。 1080人だが あの悪条件の中では  空間線量が低い場所を
     よく見つけて計られている。飯館と川俣においては、この年齢層の子供の
      1/3 を実測しているというデータ。
     これを見ると、線量が ぜんぜん違うと言わざるを得ないと思うが、これを
     あまり論じられていない・・・、そのあたりの評価は?
 
   鈴木: (口ごもった言い方で聞き取れない。マイクが入っていないか?
 
 
   ーーー: 津田先生のリスク評価の話で、中通りがずば抜けて高くなっているのは
     何故か ということは、今後 考えていかなくてはならない。 確定診断の
     26名について キチンと評価すれば、 ヨウ素か空間線量の影響かどうか分る
     はずだ。 今日 津田先生が話されたことというのは、今後 甲状腺がんが
     出てきたときに、どういうふうな対策をするのか 或はできるのかという能力
     を、福島県なりが持っているのかというのが 一番重要なので、それぞれの
     自治体のアドバイザーの方が 自分たちの地域を守るために どういうふうに
     していくのかということを検討された方が 建設的じゃないかと思う。 
 
   △△: 早野先生の指摘に関して。 チェルノブイリと比べて これだけ少ない線量
     で、甲状腺がんが多発しているor有意に増加してくるというのは、どういう
     機序が考えられるか?
   鈴木:口ごもった言い方で聞き取りにくい) この線量が参考になるということ。
     放射線誘発の甲状腺がんは 幼児・若年者に出て、大人()には決して
     出ない。(聞こえない) (小さながんも感知する)超音波を使い厳格な基準で
     検診を行えば がんが多数見つかる、見つけられてしまう。検査を始める
     前からの想定内。
     先程あげられた資料は ほとんど90年代のもので、どんなに頑張っても
     今の精度のものにはならない (今のように 多数見つけられない)。  
   津田: もともと アウトブレイク疫学というのは、原因すらも分っていないが 病気が
     何か多そうだという所から始まる。今回の場合は 甲状腺等価線量という
     のは、色んな所でかなり喰い違いがあるので、それは一応 参考にしながら
     やらざるを得ないということになる。 ハッキリ 言って、正確な**、正確な
     **、正確な多発というのは 20年か30年経ってから出せばよいだけの話。
      今 この話をしているのは、私は アウトブレイクは まだ 本格的には始って
     いないことを示したが、その端緒が もしかしたら 始っているかもしれない
     という 今の時点で、建設的な議論をすべきではないかということを言って
     いる。
 
   
 
                        (つづく)

 
  「『放射線と健康』~不安と向き合うために~」をテーマにした放射線の健康影響に関する
専門家意見交換会の第3回会合は21日、西郷村のホテルサンルート白河で開かれた。
「“甲状腺”を考える」のサブテーマで大学教授2人が講演した。
 環境省と県の主催。県と9市町村のアドバイザー25人が出席。一般県民約60人が聴講した。
講演では 鈴木真一福島医大教授が「県民健康管理調査『甲状腺検査』について」と題して講演。
小児甲状腺癌について説明した他、甲状腺癌診断時年齢の分布は放射線を浴びていない群
の年齢分布に近いことなどを述べた
津田敏秀岡山大教授は「放射線による発がん影響-甲状腺およびその他のがん-」と題して
講演した。講演後、講師とアドバイザーとの意見交換も行われた。
                    ※ 津田氏の講演内容は カットされている。
 
甲状腺がんで意見交換 医大、原発事故との関係否定
          http://www.minyu-net.com/news/news/12...     2013年12月22日 福島民友
 環境省と県は21日、東京電力福島第1原発事故と甲状腺がんの発症リスク(危険性)を テーマに、
専門家による意見交換会を白河市で開いた。県民健康管理調査で甲状腺検査を担当する福島
医大の鈴木真一教授は事故当時18歳以下が対象の検査で見つかった甲状腺がんに関し、
原発事故に伴う放射線被ばくとの因果関係をあらためて否定した。
 鈴木氏は「 超音波による精度が高い検診を行った結果、がんが小さいうちに若年層にも発見
された可能性が高い 」と強調した。
 一方、岡山大の津田敏秀教授は甲状腺がんと診断された人数が増えている状況を指摘し
「 がんの多発と原発事故との関連を否定するデータはない 」と主張。 チェルノブイリ原発事故では
事故後4年目以降に甲状腺がんの人数が急増したことから「 多発に備え、十分な医療資源を
確保し(検査機器などの)装備を充実しておくべきだ 」と提案した。
 ただ、津田氏の見解に対し、出席した専門家からは「 現時点では多発かどうか分からない 」
「 甲状腺がん発症の国内統計や、 チェルノブイリ 原発事故のデータと福島の状況は単純に比較
できないのではないか 」と懐疑的な意見が相次いだ。
 鈴木氏も「 (小さながんも感知する)超音波を使い厳格な基準で検診を行えば、がんが多数
見つかるのは想定内だ 」と反論した。
 
 
 
 チェルノブイリ原発事故後の健康問題 
             平成12年2月29日長崎大学 山下俊一 
  
      
  
 
 
  
 福島県アドバイザー 元長崎大 高村昇
               元広島大 神谷研二
 福島市アドバイザー 東北大教授   石井慶造 
               福島県立医科大教授 宍戸文男
               福島大副学長   高橋隆行
 郡山市アドバイザー 放射線影響研究所 理事長 大久保利晃
               千葉大名誉教授 真田宏夫
               東京工業大放射線総合センター助教 富田悟
               郡山医師会理事 太神和廣
 伊達市アドバイザー 放射線安全フォーラム理事 多田順一郎
               東京大教授 根本圭介
               福島県立医科大教授 宍戸文男
 二本松市アドバイザー 東邦大名誉教授(?) 桂川秀嗣
               茨城県立医療大准教授  佐藤斉
               独協医科大 木村真三
               日本大準教授・福島大客員教授 野口邦和
 本宮市 アドバイザー日本大準教授・福島大客員教授 野口邦和
 
 
 

特別リポート:除染に巣喰う「ホームレス取引」

$
0
0
 
                                 2014年 01月 8日 JST
 
[仙台 8日 ロイター] 冬場の最低気温が氷点下にもなる未明の仙台駅。凍てつく
寒さをこらえながら、段ボールにしがみつくようにして眠る路上生活者たちを、ほぼ
毎日のように訪れていた人物がいる。
プロレス興行師だったというこの男性生活困窮者を支援するケースワーカーではない。
放射能汚染が続く福島での除染作業などに ホームレスを送り込む手配師の一人だ。
「 俺のような手配師は 誰でもここに来て、作業ができそうな奴を探してきたんだ 」。
がっしりした肩を揺すり、寝込んでいる ホームレスの間を歩きながら、佐々誠治(67)
は ロイター記者に そう話した。除染やがれき処理などに作業員を送り込む手数料
として、佐々が受け取っていた謝礼は 作業員1人当り およそ1万円。始発電車も
まだ動いていない夜明け仙台駅は、実は そうした「ホームレス調達」拠点化していた。
 
 
福島地域の放射能汚染によって避難生活を強いられている被災者は 14万人
にも及ぶ。彼らが帰還するには、徹底した除染や復興推進が絶対条件だ。しかし、
ロイターによる政府資料の分析や多数の関係者への取材で明らかになったのは、
から膨大な事業費流れこむ除染復興事業一部が、作業員不足つけ込ん
だ不法行為温床となり、暴力団関係者資金源にもなっているという実態だった。
 
<暴力団関係者への依存>
 ホームレス作業員の手配師として佐々が関与していた事業は、福島市の道路除染
を行うために発注された約1億4000万円の契約の一部だった、と佐々を職業安定
法違反容疑逮捕した捜査当局者話す。その主契約企業大手ゼネコン大林組。 佐々が仙台駅で調達したホームレスたちは大林組の下請けに連なっている業者4社
を経由して、福島での除染作業などに投入された。
「 自分は人を送ればいいだけ 」と、佐々は ロイターの取材に語った。「 送って、お金
と交換すればいい。その奥までは入れない。こっちは関係ないから 」。  
 
  だが、佐々が旨味感じた手配師ビジネスが、ホームレスたちに過酷結末をもたらす
ことも少なくなかった。佐々に送り込まれた作業員が受け取る賃金は、大林組の
下請けが 賃金予定額として支払う金額の3分の1程度しかない。
捜査当局などによると、残りの2/3は仲介する業者の懐に入る。食事と寝泊りする
場所の費用を差し引けば、作業員の手元に残る賃金は 時給600円程度。福島県
の最低賃金(675円)を下回る額だ。
作業員には、食費と宿舎費用を差し引かれて持ち金底をつき、借金する羽目
になる例もあるという。
 
 ある時、佐々は仙台駅路上生活者を物色中、覆面捜査官に写真を撮られ、昨年
11月に宮城県警に逮捕されたが、その後、起訴猶予処分となった。彼の背後には
暴力団関係者も加わる「ホームレス取引」 の ネットワークが存在しており、佐々の逮捕に
先立つ10月、違法行為に関与した他の業者が 労働者派遣法違反容疑などで一斉
に検挙されている。
その一人が、稲川会系暴力団元幹部で人材派遣業を営む西村満徳(67)だった。
関係者らによると、西村は 佐々の顧客で、本格的な除染作業への労働者派遣が
禁じられているにも関わらず、ホームレス作業員を仙台市のはずれの宿舎に住まわせ
て現場に派遣、毎月、彼らの作業の賃金として 政府が支払う金額の一部を不当
に手に入れていた。西村への直接の取材はできていないが、彼は 25万円の罰金
処分となった。
 西村は地元では顔が広く、仙台市が出資している ホームレス自立支援施設、清流
ホームにも出入りしていた。同ホームは 2011年の震災の後、他のホームレス作業員
を復興作業に従事させるため、彼に紹介することもあったという。
「 彼(西村)は とても良さそうな人にみえた。運が悪かったね。全ての業者について
すべてを調べるのは とてもできないから 」と清流ホーム次長、五百澤洋太は西村
とのやりとりを振り返る。
  西村と同時に、同じ事件に関与したとして、同市にある産廃物処理業者,伸栄クリーン
社長,長田俊明(64)と建設会社、フジサイ工建の社員である林文典(54)、元人材
派遣業の佐藤拓也(29)も逮捕された。
フジサイの統括課長である佐山健一は、自社の社員が 不法な労働者派遣に加担
したことについて、「 (暴力団が)絡まなければ、人(作業員)は増えない 」と ロイターに
本音漏らし、「 結局、建設業界というのは、90%暴力団ですからね 」と付け加えた。
 
 佐山によると、フジサイが労働者派遣で得た金額は 1人当り 1000円程度だった。
除染下請け上位にある東京に本社のある建設会社、ライト工業から作業員確保
の依頼を受け、それがうまく進まないと分った時、フジサイは 伸栄クリーンに支援
を頼み、西村に発注が行ったという。
ライト工業は 大林組の下請け系列のトップにあり、日本国内だけでなく米国にも
子会社をもつ大手企業で、福島地域での除染に 約300人の労働者を送っている。
福島での除染について、同社は 現地での事業が深刻な人材不足に直面している
と認める一方、取引相手だった フジサイが 間接的にせよ暴力団とつながっていた
とは知らず、だまされていた、と訴える。「 下請け企業を チェックするにしても、彼らが
正直でなければ難しい 」と同社の広報担当者は話す。
 
 大林組、ライト工業とも同事件において不正はないとされ、処罰も受けてはいない。
しかし、大林組の場合、自社が管理する事業に暴力団関係者の関与が表面化
したのは、この事件だけではない。
昨年3月、同社が手がけた福島での除染作業をめぐり、住吉会系暴力団元幹部
が山形地方裁判所で労働者派遣法違反の罪で執行猶予付き有罪判決を受け、
さらに 11月には同法違反容疑で山口組系暴力団幹部と その家族らが高知・福島
両県警合同捜査本部に逮捕されている。
大林組では、ロイターの取材に対し、「 我が社として、こうした事件が立て続けに起き
ていることを深刻に受け止めている 」(市川淳一広報担当)とコメント。下請け業者
との契約では 暴力団などの排除条項を盛り込む一方、警察との協力も徹底して
いることなどを強調した。
 
<弱者へのしわ寄せ>
  福島地域での除染作業に膨大な国費が投じられている一方、現場で仕事をする
ホームレス労働者は、その恩恵が及ぶどころか、逆に 借金苦に陥る例もある。
「 多くの ホームレス作業員は宿舎に入るが、そこで 宿泊コスト や食費が賃金から自動
的に差し引かれ、月末には 1銭も残らないということになる 」と、ホームレス支援団体
「仙台夜まわりグループ」事務局長で バプティスト教会の牧師である青木康弘は言う。
 
 実際の待遇に期待を裏切られ、作業員が 賃金未払い請求を起こす例も少なく
ない。兵庫県姫路市に本社をもつ周東興業も そうした トラブルを抱えている業者の
1つだ。同社は、政府による事業を請け負うため、佐々から ホームレス労働者の提供
を受けていた。  
 
同社は 復興事業の需要をつかもうと 6000万円を投資。宮城県登米市にあった
ドライブインをがれき処理などの復興作業に従事する労働者の宿泊所に衣替え
した。そして、最も汚染のひどい地域の除染作業について、環境省から 2つの契約
確保した。しかし、同社は 現在、雇用していた作業員から 少なくとも 2件の賃金未払い
請求を受けていると、息子とともに同社を経営する金田富士子(70)は話す。
  これとは別に、50代のあるホームレス作業員は、周東興業で 1カ月働いたのに1000円
程の支払いしかなかったという。 ロイターが入手した この作業員の給与明細による
と、食費、住居、洗濯費用などとして 1カ月約15万円が引かれたため、彼には昨年
8月末時点での取り分は 1000円程度しかなかった。
  金田は この男性が会社で働いていた事は認めつつも、待遇は正当だったと主張
する。彼女によれば、周東興業は 食費として 1日3500円は差し引くものの、少なく
とも 8000円の日当を払っていたという。 金田によれば、ある作業員は 福島で仕事
を始める前 200万円を前借りし、その負債は減ったものの、昨年末休暇のため、
さらに 20万円借金をしたという。「 あの人は 借金を返すことはできないでしょう 」
と彼女は言う。
 
  復興作業の経験者である西山静也(57)は、周東興業で短期間働き、がれき処理
の仕事をした事がある。今は 仙台駅で段ボール生活をする身の上だ。同社を去った
のは賃金を巡ってもめたからだ、と彼は言う。これまで 建設会社と賃金をめぐって
対立したことは何度かあり、そのうち2つが除染作業を巡るトラブルだったと話す。
西山が仙台で最初に働いた業者は、がれき処理に 日当9000円を支払った。しかし、
食費と宿泊費には 5000円が必要だった。働けなかった日も、日当がないのに
食費や宿泊費は徴収された。結局、増え続く借金に追われるよりも、路上生活の
方が暮らしは楽になると思い、西山は ホームレスを選んだという。
「 手配師にとって、ホームレスは 簡単に狙える標的だよ 」と西山は言う。「 身の回り品
をすべて持って、大きな荷物と一緒に動き回っていれば、すぐに ホームレスだと分る。
手配師連中は、ホームレスを見つけると、職を探しているのか、腹は減っていないか、
と聞いてくる。もし、腹を空かしているとわかれば、彼らが仕事をくれるんだ 」。
 
<実態不明な除染業者も>
  福島除染作業には 今も多額の税金が継続的に投入されている。しかし、それが
どう使われているのか、実態は不透明のままだ。大きな理由の1つは、大手企業
を頂点にして広がる 何層もの下請け構造の存在にある。複雑な請負契約を結び
ながら、末端の零細業者も含めて、除染事業には膨大な数の企業が関っている。
 実際に除染事業を手がけている業者数は公表されていない。しかし、ロイターが
情報公開法に基づき昨年8月に環境省から入手した資料を調べた結果、もっとも
汚染がひどい 10市町村と その地域を通る常磐自動車道沿いで、733企業が除染
作業にあたっていることが分った。
公共事業への参加には国土交通省の建設業者審査で承認される必要があるが、
それらの地域で除染に関わっている 56の下請け業者は、そのリストに名前がない
ことも明らかになった。
 
  除染や廃棄物処理を推進する法的措置として、2011年8月30日に議員立法による
「放射性物質汚染対処特措法」が公布され、12年1月1日から施行されている。
しかし、厚生労働省によると、この法律は、除染作業などを行う業者の登録や審査
を義務付けておらず、誰でも 一夜にして 下請け業者になることが可能だ。
  さらに、福島県内の最も汚染が ひどい地域での作業契約は 環境省から作業員
1人に対し 1日1万円の危険手当が支払われるため、不法な派遣 ビジネスを誘引し
かねない状況にあるとも言える。
 
 ロイターの調査では、環境省が業務を発注している企業の内、5社については 総務省
での法人登録確認できず、公表されている電話番号も ウェブサイトもない上、所有者
を示す基本的な企業情報も見つからなかった。信用情報機関である帝国データバンク
にも、これらの企業の実態を示す記録は存在していない。
「 一般企業として稼動していたのか、休眠会社なのか。その代表や取締役の経歴
にも注目すべきだ 」と、帝国データバンク東京支社情報部の阿部成伸は企業実態の
慎重な調査の必要性を指摘する。
 
 だが、除染作業に関与している無数の中小、零細企業が どのように人材を調達し、
業務の安全性や安定性を どう確保しているか、その監視や責任体制が徹底して
いるとは言いがたいのが現状だ。
主務官庁である環境省は、「 労働関係の機関や警察と連絡しながら 必要に応じて
チェックしているが、元請け業者が除染工事という目的を達成するために、目的に
沿った体制を責任をもって完了するというのが基本的な考え方 」(水・大気環境局
除染チーム、工藤喜史課長補佐)と話す。つまり、現場での作業管理は 鹿島、大成
建設、清水建設などの元請け企業に任されているわけだ。
 
 そうした大手企業が除染現場などの状況を細かく把握できているかと言えば、
現実は そうではない。何層もの下請け契約が介在しているため、末端に行けば
行くほど実態は不透明になり、大手建設会社が 直接に個々の仕事に関与できる
状況になっていないためだ。
 
  公共工事に詳しい法政大学教授で弁護士の五十嵐敬喜は、菅直人政権で内閣
官房参与として初期の災害対応に奔走した。その経験を踏まえ、除染作業のため
に慌てて企業をかき集めた当初の経緯は、事態の緊急性を考えれば理解できる、
という。 しかし、今の段階では、不正入札など現場における悪質な行為を防ぐため
に、政府自らが監視を強化する必要があると指摘する。
「 公共事業で (法務局)登録していない業者は絶対にだめだ。税金を使っている
ので、使い道をハッキリするということが必要 」と五十嵐は言う。「 確かに 除染には
緊急性がある。しかし、多くの下請けがあって中間搾取されているのは大問題。
それはそれで監視すべきだ 」。
 
<先見えない除染事業>
  2011年3月の東日本大震災で東京電力・福島第1原子力発電所が破壊され、
福島を中心に深刻な放射能汚染が発生してから 3年近くが過ぎようとしている。
「 福島再生に すべての責任を負う 」と宣言した安倍晋三首相は、復興加速化に
向け国費主導の姿勢を鮮明にし、被災者帰還の前提となる除染関連事業には
廃棄物の中間貯蔵施設の建設費用を含む 4900億円を確保するなど対応を強化
する構えだ。
しかし、深刻な労働者不足や不当雇用に苛まれる除染作業が 今後も順調に成果
をあげるかどうかは未知数だ。環境省は 昨年12月26日、最も汚染が深刻な地域
での除染終了までには、2014年3月を目標にした当初の計画よりも 2~3年は長く
かかるだろうとの見通しを発表した。これらの地域からの避難生活を余儀なくされ
ている多くの人々にとって、かつての生活を取り戻せる日はまだ近づいてはいない。
 

放射線健康不安~環境省・福島県(7)

$
0
0
(6)のつづき
 
放射線の健康影響に関する専門家意見交換会(第3回)
 
  ビデオ       2013年 12月21日(土)
   講師:鈴木眞一氏、津田敏秀氏      
 
  講師、専門家(県・市町村アドバイザー)による意見交換   3:14~
     司会: 環境省環境保健部放射線健康管理担当参事官 桐生康生 (厚労省出向)
 
 
  3.県民健康管理調査結果における 甲状腺癌の発生率について (続2)
 
  **: ・・・(聞き取れない)400名に 十代前半に 甲状腺癌が 2例見つかっている。
    もう一つ言うと、反核医師の会の資料では、
 
 
 
 
 
 
 
 
                              (未完成)

 
 北海道反核医師の会運営委員  松崎道幸  2013年2月15日
   福島の小児甲状腺癌の発生率は チェルノブイリと同じか それ以上である可能性があります
 
      本田孝也氏(長崎県保険医協会理事長)    木村真三氏(獨協医科大学准教授)
      西尾正道氏(北海道がんセンター名誉院長)   松崎道幸氏(深川市立病院) 
 

行政のガス抜き~飯館村編

$
0
0
 
 リスク・コミュニケーションとは、
「 行政及び専門家の責任回避 & 住民愚弄己が意思の巧みな押付け
と同義語である。
 
  行政及び専門家は、リスクコミュニケーションなどということに 力を入れる前に、
 やるべきことがあるはずなのである。
  それは、まず 事故を引き起こし 広汎な大地を放射能で汚した責任が 自らにある
 という自覚であり、その責任を どのようにとるかという課題に 自らの立場を失っても
 取り組むことである。
 もし、これが十分になされたら、飯館村の住民は ずいぶんと救われるはずである。
 
  また、飯館村の避難が遅れた責任は、何も専門家や国・県だけにあるのではない。
 飯館村の意思決定機関の 状況判断の甘さもあったはずなのである。事態の責任を
 他に転嫁している限り、住民は浮ばれない。
  さらに、住民は 自己の運命を行政に委ね過ぎていたために、今日の事態を招いた
 のである。中央・地方の行政の意のままにならず、自らの足で立ち上がることなしに、
 運命の打開はありえない。
 
   これは、自然災害ではなく、人災なのである。 これは、東電はもとより 中央・地方の
 行政や政治家 或は専門家が引き起こした災害であるとともに、自らが招いたものでも
 あるのだ。他の責任は 他に取らせるとしても、自らの責任は 他に転嫁してはならない。
 
                                         合掌
 
 
 
 
リスクコミュニケーション
 
 「リスコミ」って何?
 自分で決めるために、放射線のものさしを持つために、
 腑ふに落ちるまで話を聞こう!
 
  原発事故で突然登場した専門用語―― シーベルト、ベクレル、空間線量…。
  私たちが「放射性物質」や「放射線」の専門家になっても仕方がありません。
  むしろ、知識を生活に役立て、判断の基準として使いこなすことが目的です。
 
これからのことを自分自身で判断するために
 飯舘村役場では、昨年11月から「 放射能に負けない身体と心のために 」と題し、
専門家を招いて、仮設住宅避難先自治会放射線の勉強会を実施してきました。これを 「 リスク・コミュニケーション 」、略して 「リスコミ」と呼んでいます。
「リスク・コミュニケーション」? 聞きなれない言葉です。「 リスク=放射線や避難による
健康影響 」と どう付き合っていくか、腑に落ちるまで話そう(意思疎通を図ろう)、
という趣旨がこめられています。
 飯舘村民が抱える 「健康リスク」 の筆頭は、放射線の健康影響と、長きにわたる
避難生活の今後の見通しを得ることです。 容易に答えが出せる問題でないことは、
この 2年弱の歳月、村民全員が骨身に沁みてきたところでしょう。
 健康影響を極力減らし、避難生活の今後に展望を切りひらくために、村も全力で
取り組んでいます。しかし、最終的に、何を決めどんな行動をとるかは、他人が
決められることではありません。飯舘村村民一人ひとりの判断が最優先されます。
 しかし、専門家の真摯で親身なアドバイスがなければ、放射線のリスクを理解し、帰村の判断を検討することさえ難しいでしょう。
 
納得するまでとことん・・・リスコミ勉強会
 今回の「リスコミ」は、少人数が車座になって専門家を囲む、小さな勉強会として
開催しました。テレビや新聞のように、情報が一方通行になることを避けたかった
からです。疑問不安率直出して専門家に質問し、他人の話に耳を傾け、
その中で理解を深め、納得すること。それが大切だからです。
 放射線の健康影響や安全管理が専門の伴信彦さんを招き、リスコミ を開きました。
本号でその様子をご紹介します。
 
事故直後に聞いた専門家の発言
いまも消えない不信感
 12月25日、NTT大森住宅で開かれた勉強会には 7名が参加しました。参加して
いた方(男性)の発言を きっかけに、議論はにわかに活気を帯びました。
「 事故が起きてから、大学教授が『100m㏜以下は住んでても、大丈夫ですから』
と言われた。それ聞いて安心して、家族にも安全だって言っていたが、その後、
避難しろって言われたんだよ! 」
 別の方も 避難の時期に関して、思うことがあるようでした。
「 飯舘は一番、避難があとだったからな 」「 一番あとに 避難させられて、一番被曝
させられて。放射線強いとこさ、人間を置いたらどうなるかって、モルモットにされた
じゃねえかって思ってんだよ。それくらい行政に不信感が強いなあ。だから色んな
話聞いてもまるっきり信用できねえ 」
 
避難指示と専門家の発言に わたしたちが感じた矛盾
   事故後、飯舘村には 大学教授や医師が頻繁に訪れ、放射線の講演会が開かれ
ました。そこで 「 100ミリシーベルト以下の被曝は 心配ない 」という話を直接聞いた方
もいらっしゃるはずです。あのときの言葉を、みなさんは素直に受け止め、安心・
納得することができましたか? 事故は起きたが、このまま 飯舘村に住んで問題
ない ── そう言われていたにもかかわらず、村は 計画的避難区域に指定され、
まもなく 2年になるというのに、いまも避難生活が続いています。 村の汚染が心配
ないのものなら、なぜ避難しなくてはいけなかったのでしょうか。政府の決定と、
当時の専門家の話には、やはり 矛盾があったと言わざるを得ません。
 
100ミリシーベルト発言
その真意とは?
 あの 「100ミリシーベルト発言」 は、どういった意図から発せられたものなのでしょうか。伴さんは、専門家の立場からこう解説してくれました。
「 100ミリシーベルト以下の被曝では、人体への影響を検出できていません。原爆被爆
者などについて、病気の発生率や死亡率を調べても、線量が 100ミリシーベルト以下
だと、被曝していない人たちと 違いは見られないからです。 影響が全くないとは
言い切れないまでも、科学的には 立証できないほど小さいのだから、とりあえず
心配しなくていい ── 本当は そう言いたかったのだと思います。
ですが 『100ミリシーベルト以下は 安全で、それ以上は 危険』、みなさんに そう受け止
められてしまったのは、よくなかった。 同じ専門家として忸怩たるものを覚えますし、村の皆さんへの配慮が足りなかったと言わざるを得ません。」
 
「 判断は 人それぞれで、第三者が決めるものではないと思います 」
 100ミリシーベルト以下の被曝で影響が出るという確かな証拠はないのですが、
全く影響がない と片付けてしまうのも乱暴です。 科学的に証明できないほど
わずかであったとしても、「がん」が増えるかもしれません。そういう事態は できる
だけ避けたいので、ある程度以上の線量を受ける恐れのある方々には、念のため
避難していただきましょう、というのが政府の方針でした。本来、安全とか危険とか
割り切れることではないのに、話が ものすごく単純化され伝わってしまったことは
残念だった、と伴さんに伺いました。
 放射線の情報、とくに 100ミリシーベルト未満の低線量被ばくの問題は、伝え方次第
で まったく違う解釈がなされてしまいます。伝言ゲームのように、伝わるうちに脚色
されたり、大事な部分が抜け落ちたり、正反対の色が付いたり・・・。
 中途半端で ときに センセーショナルになりがちな情報を雑多に仕入れていた
のでは、混乱するばかりです。やはり、科学的に正確な知識が重要になります。
 
安全と危険の境界線
被ばくに対するイメージ
  また、参加した多くの方が気にしていたのは、安全な放射線量はあるのかという
ことです。
「 放射線の数値が高ければ帰れませんと言うのだから、これ以下なら安全という
基準があるんでしょ? 」「年間被曝線量どれ位なら帰村しても平気なんだべ?」村の除染は、当面の目標として 年間 5ミリシーベルト以下を目指し、長期的には年間
1 ミリシーベルト以下を目指しています。しかし、この数値(年間 5 ミリシーベルト)は、安全
と危険を分ける境界線ではありません。あくまで 除染で放射線量を下げる中での
目安です。
 年間 5 ミリシーベルトと聞き、みなさんは 村に帰りたいと思居ますか?
或は帰れる
線量ではないと お感じでしょうか。こんな意見もありました。
「 村に戻って、前の生活が
できっか、できねえかによっては 戻っても ストレスたまり
ますから。年間5ミリになって戻っても、畑のものも、いまいちわからん。山菜もキノコ
も、川の魚も食べられるか分らん。 避難生活は ストレスだけど、村に戻っても不自由
、コレ駄目だ、アレ駄目だって考えているようでは・・・余計に悩ましいんだ 」
「 私
今 80歳だから、放射線の影響が出る前に 自然に消滅する歳です。被曝も
大して怖くない と思っちまう。で、こういう感情を持ってるようでは、若い人たちに
申し訳ないとも思うんだな。被曝の影響わかんないから、子供を持ってる若夫婦
なんか、遠いと 県外まで避難しちゃうわけだ。放射能〔放射線量〕の大きい小さい
じゃなく、被曝自体に ものすごく不安をもっているんじゃないか。そう思うんだよ 」
 
村が目指す年間 5 ミリシーベルトは
安全? それとも危険?
 年間 5 ミリシーベルトの被曝とはどういう数値なのでしょう。100ミリシーベルトでも 被曝
と発癌などの健康被害との因果関係が特定できないのですから、年間 5ミリシーベルト
となれば、影響検出できないはずです。 実際、世界には 自然界の放射線による
被曝が、年間数ミリシーベルトから 数十ミリシーベルトにも及ぶ地域がありますが、そう
いった場所でも 「がん」が多いなどの報告はありません。引き続き 伴さんのお話を
伺いました。
  「 100ミリシーベルト以下の低線量被曝で、健康影響が出たという確かな証拠はあり
ません。だからといって、『 健康影響はない 』と決めつけるのは早計です。そこで、
たとえ 数十ミリシーベルト 或は それ以下でも 『健康影響は 皆無ではない ─ 具体的
には 発がんの確率が わずかに上がる可能性がある 』と仮定して 対策を講じる
のです。無用な被曝できるだけ減らすに越したことはありません。 しかし同時に、『年間数ミリシーベルトの被曝でも 危険性は ゼロとは言えないから、危ない、危険だ、
大変だ、とにかく避難すべきだ』となってしまうと、今度は別の問題が生じます。
避難生活の困難は 心身に大きな負担を強います。仮設住宅や借り上げ住宅に
暮らす みなさんが、誰よりも よくわかっておられます。経済的な問題も無視できま
せん。避難先で 長期間生活を支えてくれる援助や補償が十分得られるかどうかも
見通せません 」
 安全か危険か、白か黒か、の二元論・二者択一ではなく、被曝を避けるメリット、
デメリットを考えた上で、自ら判断して欲しい、と伴さんは言います。
「 年間5 ミリシーベルトという数字を示されても、帰りたくない方もいらっしゃる。また、
帰ってもいいという人もある。判断は 人それぞれで、第三者が決めるものではない
と思います。どちらが正しいかではありません。ご当人にとって、帰るメリットがある
ないか。帰る意味があるかどうか、そこに かかってくると思います 」
 
リスクと上手に付き合う
これからも必要な話し合い
  除染で、村に降り注いだ 放射性物質をゼロにすることはできません。放射線と
の長い付き合いは続きます。放射線について 分っていること、分らないことを整理
し、これからも繰り返し話し合い、理解を深めることがとても大切だと感じました。
 まず 現状を知ること。そのために計測すること。その上で 自分で判断すること。
では、現在放射線量は、どうなっているでしょうか。年末にお配りした「かわら版
 道しるべ」第3号に一部書いたように、村の家屋の放射線量を 厳密に測定して
きました。裏面では、さらに詳しい調査結果をお伝えします。
 
 
 
  C OLUMN コラム
 Q&A: 初期被ばくと放射性ヨウ素
 リスク・コミュニケーションの一環として開催された、飯舘村の講演会・勉強会「 放射能に負けない身体
と心のために 」の質疑応答をご紹介します。 特に、事故直後各地に飛び散ったはずの放射性ヨウ
素131 による内部被曝について、質問が集中しました。初期被曝として注視されている問題です。

 質問1 
  放射性ヨウ素があった頃、子供達に安定ヨウ素剤を飲ませられなかった。県民健康管理
 調査の甲状腺検査でひっかかっている人もいるけど、大丈夫なんだろうか?
 伴さんの答え
  / 甲状腺検査の「A2」判定を気にされているのだと思いますが、これは超音波画像で良性
  の小さな嚢胞(液体を含む袋)や結節(しこり)が見つかったというだけで、決して 病的なもの
  ではありません。甲状腺癌の診断が下されたわけではないので、その点、誤解なさらないで
  ください。
   さて、子供たちが どれくらい甲状腺に被曝したか、それが一番気がかりです。残念なことに、
  放射性ヨウ素131の半減期が短いこともあり、測定データ(実測値)が限られます。 実測値
  として貴重なのが、事故から約半月後の、2011年3月26日から30日にかけて実施されたもの
  です。いわき市保健所、川俣町公民館、飯舘村役場で、1,000人以上の子どもを対象に行われ
  ました。首に放射線測定器をあてて、甲状腺に取り込まれたヨウ素からのガンマ線を直接測定
  したのです。新聞などでも報道されたので、覚えておられる方もあるでしょう。ある児童(1人)の
  甲状腺等価線量が 35ミリシーベルト、これが最大値で、他は その半分以下でした。
  (甲状腺だけが 35ミリシーベルト被曝したという意味で、全身が35ミリシーベルトを被曝したという
  ことではありません。全身にわたって平均化した実効線量に換算すると、1.4ミリシーベルトに
  相当します)。
  簡便な測定ではありますが、この結果を見る限り、今後、甲状腺がんが増加することはないと
  思います。ただ、いわき・川俣・飯舘の検査を受けなかった子供、或は 他の地域の子供はどう
  なのか、その点が気になります。放射性ヨウ素131の半減期は 8日と短く、しかも 子供は代謝
  が速いため、2~3ヶ月もすれば 体の中から消えてなくなってしまいます。つまり、今となっては
  測定によって確認することができないのです。
   そこで、環境中の測定データと避難状況を基に、事故直後の放射性ヨウ素による被曝を「推定」
  する作業が進められています。国内の専門家や国際機関などが並行して作業にあたっており、
  いずれ結果が公表されるでしょう。 しかし、あくまで推定ですから、結果には どうしても誤差が
  伴います。そのような状況で、福島県の「県民健康管理調査」では、念のため、すべての子供
  について甲状腺に異常がないかどうかを継続的に調べることにしています。甲状腺がんが
  増えないことを確認するため、そして 仮に甲状腺がんになったとしても、確実に発見し適切な
  治療を行えるようにするためです。
 質問2
  子供が二人いて、甲状腺検査をしたのですが、一人は A2(20ミリ以下の嚢胞が発見され
  たが、小さいので問題ないとする)で、もうひとりは出なかった。二人いて、同じように生活
  していたはずなのに、こうして違いが出るのは、やっぱり体質とかの問題なんだろうか?
 伴さんの答え
  /小さな嚢胞が本当に心配なことかどうか、まず そこから考えましょう。 検査では、確かに
  小さな嚢胞があると診断されたわけですが、診断にあたった医師は、即治療すべきだとか、
  そんなことは言わなかったはずです。小さな嚢胞が ちょこちょこある というのは、ごく普通の
  ことだからです。 お肌のシミやほくろのようなもの、と考えればよいと思います。真っ白な肌の
  方が奇麗ですが、シミやほくろがあったからと言って、病気というわけではありません。それに、
  シミやほくろのでき方は 人それぞれ違います。
   そもそも、今、行われている検査の目的は、放射性ヨウ素による被曝の影響(異常)を検出する
  ことではありません。万が一、被曝によって子供の甲状腺癌が増えるようなことがあったとして
  も、それまでには少なくとも 4、5年かかります。 今のうちに、全員の甲状腺の状態を把握して
  おき、今後、変化が見られるかどうかを調べるのに備えておこう、というのが目的です。
   当初の説明が十分ではなかったために、A2という判定に対して、不安や戸惑いを覚えられ
  たことと思います。 しかし、A2は 病気ではありませんし、放射線の影響でそうなったわけでも
  ありません。そのお子さんは元々(原発事故とは無関係に)嚢胞を持っていたということです。
 
 
 
             □    □         □    □
 
 
 
                                              平成23年12月2日
 今回のような大規模複合災害においては、行政の危機管理能力には 一定の限界があり
コミュニティや住民自身の《自助》が不可欠となります。地域の安全において不可欠な役割を担う
行政、専門家、企業、住民、それぞれの役割を明らかにすること。そのために共通の意識を持ち、協力関係をつくること。…その方策として、互いに危機について意見や情報を交換し、共有し合う 「リスクコミュニケーション」が重要になります。
  あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、この 「リスクコミュニケーション」 について、
今回の事故後の経緯を振り返りつつ、今後を考えてみたいと思います。その目的や役目は、
「平常時」「緊急事態下」「回復期」によって、異なります。
 
●発災から今まで―――緊急事態下のリスクコミュニケーション
 東電福島原発事故直後、「避難区域」や「屋内退避区域」などの対策範囲は、原発から
10km,20km,30km以内などと、原発からの距離によって 同心円状に定められました
[第2回参照]。当時は、放射性物質の分布を予想するために必要な情報が まだ限られて
いたにもかかわらず、迅速に判断を下す必要に迫られていたことから、政府が専門家の
意見を参考にして決断したのです。また、その線引きの参考とする放射線量レベルは、
年間20ミリシーベルトに設定されました。これは、国際的な コンセンサスである ICRP(国際放射線
防護委員会)勧告[第5回参照]を根拠としたものでした。
  こうした「緊急事態」下の判断に際しては、関係する全ての方の意見を伺い、時間をかけて
調整することはできません。そのため、意思決定プロセスを透明にし、タイムリーに説明する
ことで、判断の正当性を担保しなければなりません。これが緊急事態における リスク コミュ
ニケーションの役目です。
 
●そしてこれから―――回復期のリスクコミュニケーション
 現在も原発内では、原子炉の冷温停止に向けた努力が急ピッチで行われています。原子炉
の冷温停止が達成できると、いよいよ回復に向かうことができるようになるでしょう。
  この回復期においては、「食品の安全」「大規模除染」「福島県民の健康影響」などの課題に
ついて、住民、行政、専門家などが話し合いながら 解決策を模索していくことが必要と考えます。 
   放射線に対する受け止め方は、人によって、社会環境によって、全く異なります。放射線に
対する知識、年齢、家族構成、どのような職業に従事しているか、どこに住んでいるか、何十年
その地に住んでいるか、など様々な因子がからんできます。また放射線の規制基準は、放射線
による健康影響等の《科学的な知見》を判断の根拠にしつつも 《社会経済学的・社会心理学的
な配慮》も合わせて総合的に判断する必要[第16回参照]がありますが、こうした価値観もまた、
個人によって大きく異なります。
  このように、リスクの受け止め方や価値観がそれぞれに違う住民の方々と行政や専門家が、
どうすれば社会的な合意を形成することができるのか。その助けとなるのが、きちんと 「意見や
情報を交換し共有し合うこと」です。これが、回復期の リスクコミュニケーション の役割です。
 
●例えば―――食品中の放射性物質をめぐって
  リスクコミュニケーションが必要な、重要な課題の1つに、食品中の放射性物質の濃度管理
に関することあります。
  わが国の食品に含まれる放射性物質の濃度は、厳しく監視されています。基準値を超えた
食品は、一時的に市場に出てしまうことはあっても、早期に発見され取り除かれるので、長期間
にわたって流通し続けることはありません。
  それでも 「 一時的にせよ市場に出てしまったら、その時に買って食べてしまうかもしれない
ではないか 」と、不安に思われるかも知れません。しかし、食品中の放射性物質の基準値は、
「 仮に その食品を1回食べてしまったら 」ではなく 「 1年間ずっと食べ続けてしまったら 」という
仮定に立って、健康に影響が出るラインが設定されています。したがって、現在のような早期発見
体制がある限り、市販されている食品を食べることによって、放射線による健康影響が出ることは
、まず考えられないのです。
    我が国の食品の暫定基準値は、諸外国の基準に比べて十分に低く設定されています。
日本人は、原発事故とは関係ない天然の放射性カリウムを毎日食品から摂取していますが、
それが体内に含まれている量と比べても、はるかに少ない値です。
  しかし、低線量の放射線による健康への影響の出方が、科学的にまだ十分には解明されて
いないことから、消費者の立場では、「 例えわずかでも 余分な放射線を浴びたくない 」という
食品に対する不安感・不信感は尽きません。 また、生産者の立場では、「 育てた作物が
売れるのかどうか 」が 大きな不安です。食品中の放射性物質の濃度は、今後 さらに安全
サイドに立った基準値(平常時の基準)に再設定される方向で、作業が進んでいるようです。
   この際にも、国民の安全を前提に、消費者・生産者双方が納得できるよう、十分なリスク
コミュニケーションを図る必要があります。 《今あるリスクを理解》 し、《無用な不安を低減》
するのも、回復期のリスクコミュニケーションの重要な役割の一つです。
 
●今、この危機を乗り切るために
  放射線に関する知識不足自体は、必ずしも リスクコミュニケーションの障害にはなりませんが、
それでも、一度お読み頂くことをお勧めしたい物があります。最近 インターネット上で公開されている、小・中・高校生が使う放射線の授業用副読本です。放射線の利用、健康への影響などを分かり
やすく解説しており、特に教師用解説版がお勧めです。
   「リスクコミュニケーション」という言葉には、適当な日本語訳がありませんし、日本人に
とっては不得意な分野かもしれません。しかし、今のこの危機を乗り切るには、一般の住民
の皆さんの議論への参加は、どうしても必要です。
  住民、行政、専門家、企業などが、互いの意見や価値観を尊重し合い、相互不信ではなく
相互信頼し合える関係を構築できるかどうか―― リスクコミュニケーションの成否は、それによって
大きく左右されるのです。
 
                                                            (遠藤 啓吾 京都医療科学大学 学長)
 
 
   リスクコミュニケーションとは、
  原子力災害に際して、行政及び専門家(科学者)らが 国家に与えた巨大な損害を
    矮小化して、直接の被災住民だけに自らの過失の尻拭いをさせるように見せかけ、
  全国民への 自己の責任を曖昧にしながら、自らへの責任追及を免れるという 極めて
    卑怯で 巧みな 行政の危機管理方法の一つである。
 
   彼らにとって 「危機」 とは 住民の健康と生活の危機ではなく、まして 国の危機
  でもなく、従来の己の立場が原発事故によって崩壊する危機なのである。
  その 危機を乗り切るために被災住民をスケープゴートにして、己が不始末の尻拭い
  をさせようというのである。 
 
   行政専門家が、原発事故に対する 自らの責任を 公明正大に明確にし、被災住民
  及び全国民に 頭を下げて謝罪した後に、今後の善後策について 胸襟を開いて 日本語
  で相談するならまだしも、外国から輸入したにわか仕立ての 「リスクコミューニケーション」という
  横文字で、自己の責任を曖昧にするなど、断じて 許すべきものではない。
                                           合掌
 
 
  
 
 
 

「帰還に向けた考え方」にある4つの重大な問題点

$
0
0
 どうして、この()ような事が 
 「国を愛する」と 日頃 公言する人々の口から出ないのか?
 ――― 保守と自認する人の精神構造の不可思議な所である。
 
 彼らは、抽象的なor幻想的な国家は 愛せても、
 具体的な 国の民の運命には 関心がないのではなかろうか?
  実に 奇妙である。
 
 本当に 国or郷土を愛しているならば、
 必ずや 規制委や政府の政策を容認できるはずはないのである。
 
 因みに、私は 「基本的人権」⋆1というものを容認する者ではない。
 また、「天皇主権」⋆2も認めるものではない。
 すなわち、西欧産の近代立憲主義に疑問をもつ者である⋆3
 
                              合掌
 
    ⋆1 日本国憲法 第十一条
    ⋆3 明治維新後の日本は不平等条約を改正し、欧米列強と対等の関係を築くために
      近代的憲法を必要としていた。・・・伊藤は 日本の現状に適合した憲法を目指した。
      それまで日本は幕藩体制の中でばらばらの状況であり、一つの国家と国民という
      結びつきができていなかった。そのために、天皇を中心として国民を一つにまとめる
      反面、議会に力を持たせ、バランスの取れた憲法を制定する必要があった。・・・
       大日本帝国憲法には、「内閣」「内閣総理大臣(首相)」の規定がない。これは、
      伊藤博文がグナイストの指導を受け入れ、プロイセン憲法を下敷きにして新憲法を
      作ったからに他ならない。グナイストは伊藤に対して、「イギリスのような責任内閣制度
      を採用すべきではない。なぜなら、いつでも大臣の首を切れるような首相を作ると国王
      の権力が低下するからである。あくまでも行政権は 国王や皇帝の権利であって、それ
      を首相に譲ってはいけない」とアドバイスした。  大日本帝国憲法 - Wikipedia
 
 
 
反核医師の会
 
2013.12.18
 
 
 
       原子力規制委員会への抗議声明
  「帰還に向けた考え方」にある4 つの重大な問題点
           
  核戦争に反対する医師の会 (反核医師の会・英文略称"PANW")
                   (東京都渋谷区代々木2-5-5 全国保険医団体連合会内)
 
 2013年11月20日、原子力規制委員会から 福島第一原発事故による汚染地域
への「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方(線量水準に応じた
防護措置の具体化のために)」(以下、『考え方』と略.)が発表された。
  我々「
核戦争に反対する医師の会」は、核兵器の廃絶を望み 被ばく者を支援して
きた 医師・医学者の団体として、原発事故後の地域住民の生活や健康維持に
ついて、これまでも 重大な関心を持ってきた。 我々は、今回の『考え方』には
放射線防護点から、また住民主権という人権の観点からも大きな問題点があり、断じて認めるわけにはいかない との結論に至ったので、ここに 抗議声明を発表
するものである。
 
1,100ミリシーベルト以下の被ばくでも健康被害の可能性を認めるのが、現在の
 国際的動向である
  今回の規制委員会の『考え方』の基本にある医学的認識は、低線量被ばくの
 評価に関する 最近の国際的理解からは、明らかな誤謬を犯しており、医師・
 医学者としてとうてい容認できるものではない。100 ミリシーベルト以下の被ばくでは
 「 疫学的に健康リスクの増加を証明するのは困難とするのが 国際的合意 」と、
 事故以来 繰り返されてきた見解は、最近発表された 複数の大規模疫学調査に
 より 大きく修正を迫られている 1),2)。
  10万人以上を対象とした大規模な疫学調査では、100 ミリシーベルト以下でも
 「 明らかな線量依存性の健康リスクの増加 」が認められ、過剰な放射線被ばく
 は「 少なければ 少ない程よい 」という原則を再確認することとなった。
    今年3月に福島事故と関連してWHO が発表した報告でも、「 福島県外も含む
 広い範囲の住民で、生涯の発がんリスク増加の可能性を否定できない 」とされた
 のは、低線量被ばく健康リスクに関する国際的動向に配慮したものと思われる3)。
  しかし、今回、原子力規制委員会が出した「考え方」は、このような国際的動向
 に 全く注意を払っておらず、繰り返し表明してきた「 100 ミリシーベルト以下は安全 」
 とする 恣意的な認識に拘泥し続けている。
  我々は、『考え方』が基本にする“100 ミリシーベルト以下安全”論に、強く抗議する。
 
2,ICRPの勧告でも、積極的な住民参加による意思決定や健康管理の充実を
 強調している
  今回の原発事故に伴う住民避難の基準は、ICRPによる 2007年 と 2009年の
 一般勧告、及び 2011年に福島事故後に出された文書によるところが大きい4)-6)。 
 その中で 事故収束後に 汚染が残る地域での居住を選択した場合 「 1~20 ミリ
 シーベルトに抑えるべき 」とされており、長期間にわたる可能性があるならば、
 「 その幅の中でも 可能な限り低い基準を設定し、線量低減のための最大限の
 努力の継続が前提 」と明記されている。
  このように年間20 ミリシーベルトは 「 緊急対応時の一時的指標 」でしかなく、
 「 帰還可能な汚染水準として示されてきたものではない 」。
    さらに、比較的線量が高い地域での居住では、「 地域住民の健康管理体制の
  充実が不可欠 」で、方針決定への住民参加とともに 最終的には 各個人の決断
 が重要であることも強調されている。福島事故後に 政府や関係諸機関がとった
 実際の対応は、人権保護の観点からも 厳しい国際的批判にさらされている。
 2012年10月に日本で行った調査にもとづく「国連人権理事会からの特別報告」
 (以下「グローバー報告」)は、原発に関する情報が国民に共有されない制度の
 不備と、事故後の政策決定への住民参加の不足について警鐘を鳴らし、社会的
 弱者も 積極的に参加できるシステムの整備を求めている 7)。
    今後、地域住民の間で 低線量被ばくに関する情報を共有し、帰還の条件に
 ついても 住民が議論に積極的に参加できる場が形成され、的確に政策決定に
 反映されるシステムが確保されねばならない。今回の『考え方』では、住民参加
 の保障が 全く不十分である。
    我々は、ICRP勧告よりも 大きく後退し “年間20 ミリシーベルト迄を帰還可能水準”
 と緩和する『考え方』に強く抗議する。
 
3,個人線量計による計測結果を重視することで、被ばくに対する個人責任や
 新たな社会的問題を生み出す危険がある
  今回の『
考え方では、空間線量から予測される被ばく線量ではなく、個人線量計
 を用いた各々の計測結果を、個人の生活設計や管理にも用いるという考え方が
 示された。
  線量計による 被ばく管理は、仕事上 やむをえない被ばくで 利得を得る労働者
 や放射線取扱者にとっては、必須の要件である。しかしながら、個人線量計の
 測定被曝実態調査する一手段ではあっても、過剰被曝が 利得どころか
 リスク増加にしかならない地域住民にとって、被ばくの多寡が個人責任に転嫁
 される恐れもある。
  また、ガラスバッジ等の個人線量計による計測では、α線やβ線による内部被曝
 は計測されず、γ線についても、計測は 線量計の前方からの線量が中心で、
 その使われ方によっては被曝量が過小評価されかねない結果に陥る恐れが
 多分にある。
  さらに個人に被曝管理を押し付ける線量計の利用は 「被曝した個人」を特定
 することにもなり、人権を守る上で新たな社会的影響をもたらしかねない。特に
  屋外活動による被曝を避けたい小児や妊婦にとって その行動を必要以上に
 制約することにつながりかねず、新たな風評被害や社会的差別を防ぐ面からも、
 住民全体に適用するには あまりにも問題点が多い方法と考える。
  個人線量計による計測結果は、その人個人のデータであり、決して帰還基準など
 に使用すべきでない。住み続ける地域環境の規定である規準汚染度は、その
 地域の汚染度を客観的に表す 「空間線量」(ICRP基準)や「土壌汚染」(ウクライナ
 基準)を使用した基準値でなければならない。
  我々は、『考え方』の “個人線量計による計測結果を重視する”基準値設定に
 強く抗議する。
 
4,健康相談員による相談だけでは、住民安全・安心健康管理不可能である
  さらに、帰還の前提条件としては、住民の健康管理体制の整備が不可欠だが、
 今回の『考え方』では、健康相談員の活動と支援する拠点の整備があげられて
 いるだけで、公的な健診体制の整備や拡充、及び診療体制の充実についての
 具体的な記述が欠落している。
  前段3 にあげた「グローバー報告」では、1 ミリシーベルト以上の年間過剰被曝が
 推定される地域全体で、「無料の健康診断や医療サービスの提供」が勧告されて
 いる7) にも拘わらず、それを全く無視したものとなっている。
 ちなみに、今年3月6日の原子力規制委員会からの提言では、1999年の茨城県
 那珂郡東海村JCO臨界事故後行われている健康管理(事故により1 ミリシーベルト
 以上の過剰被曝が疑われる住民に対する無料の健診) について記載されていたにも
 かかわらず、今回の『考え方』では それが削除されており、意図的な変更を疑わ
 ざるを得ない内容となっている 8),9)。
  我々は、住民健康管理、JCO事故後健康管理体制から大きく後退させ、
 “健康相談員による相談だけに限定” する 『考え方』に、強く抗議する。
 
 
 以上のように、今回の『考え方』は、低線量被曝に関する最近の医学的知見や
国際的動向を無視するばかりか、一部では、同委員会より 3月6日に出された
東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連する健康管理のあり方について(提言)」より
後退した内容となっており、加害企業や公的機関の責任を曖昧にしたものになって
しまっている。また、事故の規模の違いと、費用負担の増大を心配してJCO事故後
の対応等の健康管理体制からの後退を、福島に押し付けようとしているとすれば、
けっして許されるものではない。
 この意図的な二重基準を許してしまえば、JCO事故後の健康管理体制をも後退
させる危険性をも指摘せざるを得ないだろう。
我々
は、国民健康管理携わる医師・医学者団体として、今回出された『考え方
の内容と方向性について強く抗議するものである。そして、医学的知見や国際的
動向が、理解されやすく整理して呈示され、各家庭や個人が自律した意思決定を
行えることは、住民主体に 政策決定する民主主義の根幹であることを再度強調
して、以下の項目を提案し、必ずや実行に移されるべきであると要求する。
 
 
“100 ミリシーベルト以下安全” 論を撤回し、低線量被ばくの健康影響についての
  最新知見、国際的動向重視し、その情報についても住民に隠さず伝えること。
“年間20ミリシーベルト迄を帰還可能水準” と許容する提示は 撤回し、帰還できる
 条件について 住民との間で 十分な情報提供による協議の場を設け、政策決定
 に反映させること。
“個人線量計による計測結果を重視する” 基準値設定
被曝管理住民押付け
 をやめること。
1 ミリシーベルト以上の過剰被曝が疑われる地域の住民に、無料の健康診断サービス
 を、国と東電の責任で提供し、医療体制の充実を図ること。
 
以上、要求するものである。
 
 参考(割愛)
 
 
 
 
 

飯館村編

$
0
0

リスコミ~飯館村編のつづき

福島県・飯舘村で県発表の倍の数値に―初期被曝量は平均で 7mSvも!?

週刊金曜日 2013年12月10日(火)
 
 福島第一原発での事故発生後、放射線量が 年間積算線量20ミリシーベルト(mSv
に達する恐れがあるとされながら、避難指示区域には指定されなかった 飯舘村
で、村民が 県発表の倍近く初期被曝していた疑いが浮上した。原発の安全性を
説く御用学者による「安全講演」が、無用の住民被曝を招いたとの指摘が出ている。

 原子力災害
苦しむ村民明日を考える「飯舘村放射能エコロジー研究会」(IISORA
が、11月17日に県青少年会館で開催したシンポジウムで明らかになった。
京都大学原子炉実験所の今中哲二助教を リーダーとする「飯舘村初期被ばく評価
プロジェクト」の中間報告によると、住民の平均被曝量は7mSv。 これは 県が発表
していた調査値の ほぼ倍だ。
                   今回の外部被ばく線量の推計値(放射線業務従事経験者を除く)の最高値は、
                 15mSv 未満で、前回までの25.1mSv を上回るものではありませんでした。
        これまでの疫学調査によれば、100mSv以下でのあきらかな健康への影響は
       確認されておらず、現在までに得られた結果は、4カ月間の積算実効線量値ですが、
       これにより放射線による健康影響があるとは考えにくい」と評価されます。
                                        平成24年6月25日
 飯舘村では 原発事故直後の2011年3月15日に放射能を帯びた雪が降った
ため、
その日の午後6時20分の時間当たり放射線量が 44.7マイクロシーベルト(μSv)と跳ね
上がったが、その時点で 村民は ほとんど村内にいた。
今中氏は「 原発に近い町村の人たちは 3月12日の避難指示で いち早く避難した
が、指示がなくて遅れた飯舘村の人の方が むしろ多く被曝している 」と話す。

 調査は、広島大学
や民間団体原子力資料情報室などのメンバーと 今夏から避難先
の仮設住宅などで聞き取りを続け、10月までに全村民 6132人中、約3割の1812人
の行動を調べた。

 被曝量
多い屋外にいた時間、少ない屋内時間などを考慮した集計で、事故直後
から同年 7月31日までの村民の平均被曝量は 一般人の法令上の被曝限度の
7倍にあたる 7mSvだと分った。最大の被曝量が確認されたのは 60代の男性で、
23.5mSv。世代別では 避難が早かった 10歳以下の子どもは 3.8mSvと比較的
低く、村に長く残った 50~60代が 8mSv超えるなど高かった

 飯舘村民は 事故後に自主避難などしており、3月21日には約半数になった。
「 1カ月を目途に避難してほしい 」という国の計画的避難が始まった 4月23日から
7月末までには ほとんどが村外避難した。 しかし 一方で、3月22日頃から村に戻る
住民が急増した。
今中氏は「 職場が再開するため戻った例もあったが、実は 丁度 この頃、山下俊一
さん事故直後に県の放射線リスク管理アドバイザーに就任)が 村にやってきて講演をして
いました 」と示唆する。

 山下氏は「 100mSv以下は安全 」「 放射線の影響は くよくよしている人のところ
に来る 」などと「安全神話」を振りまいた人物。その後、福島県立医大副学長と
なり 同大学の鈴木眞一教授らとともに 県民健康管理調査の検討委員として調査
を中心的に進めていた。 しかし 同調査への不信が募り、今年になって委員を退任
している。 

 その県民健康管理調査によると、事故後から 11年7月11日までの村民 3102人
の平均被曝量は 3.6mSvだった。食い違いについて 今中氏は 「 我々は地面の
セシウム沈着量からの計算で、県は モニタリングポストからのようだが、なぜ差が出る
のか検証しなくては 」とする。
今回の調査は 外部被曝だけで食べ物などからの内部被曝検討されていないが、
数値を低く見積もりたい県の実態が 改めて浮き彫りになった。

 昨年から確認され始め 甲状腺がんについて 県は「 因果関係はない 」とするが、
事故直後に現地入りした弘前大学の甲状腺被曝調査を 県が中止させた経緯が
ある。 ヨウ素131は半減期が 8日と短いことから、甲状腺がんの発症を予想して
因果関係の証拠を消した疑いがある。
当時の原子力安全委員会は たった1080人の検査から「 放射線値は増えてない。
 8割が 0.01以下 」としたが、その検査の日、今中氏は 飯舘村にいた。
「 村役場の近くで 線量が 毎時 5~7μSv。 役場内でも 約10分の1。 そのバック
グラウンドで どうやって 0.01が測れるのか 」と訝る。県や国が、御用学者たちと
一緒になって 村民を欺く経緯は “犯罪”そのものではないか。
                                                       平成23年5月12日、原子力安全委員会
                                   小児甲状腺被ばく調査を実施した0歳から15歳までの1,080人の小児
                                 については、スクリーニングレベル0.2μSv/h(一歳児の甲状腺等価線量
                                 として100mSvに相当)を超えるものはなかった。
                          甲状腺等価線量評価のための参考資料
                                                            2011年3月25日、放射線医学総合研究所
                          小児甲状腺被ばく調査結果説明会の結果について
                                                           平成23年9月5日、原子力安全委員会
                バックグラウンドが0.2μ㏜/hを超える場合、有意な測定は困難である。
                          原子力安全委員会記者ブリーフィンク 平成23年9月5日
                          小児甲状腺被ばく調査結果に対する評価について
                                                           平成23年9月9日、原子力安全委員会
 
 
 
 福島民友では、
 
 東京電力福島第1原発事故直後の飯舘村民の初期外部被ばく線量の推計に
取り組んでいる京大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)は 17日、同村
の1812人分の避難までの行動を調査した結果、被ばく線量の平均は7ミリシーベルト
だったとする調査の「中間まとめ」を発表した。 飯舘村放射能エコロジー研究会が
福島市で同日開いたシンポジウムで発表した。
  今中助教の 「飯舘村初期被ばく評価プロジェクト」 は 昨年度、環境省の公募研究
に採択されたことを受けて行われた。今年7月から村民への聞き取り調査を始め、
10月31日までに 498世帯からの聞き取りを終えた。村民の約3割に当る 1812人分
の行動を調査した。  
同プロジェクトは 米国核安全保障局が 2011(平成23)年4~5月に実施した航空機に
よる放射線調査のデータなどを基に、当時の空間線量を推定する手法を開発。
これに 当時の村民の実際の行動を反映させ、初期被ばく線量を見積もった。  
この結果、同年7月31日までの外部被ばく線量の平均は 7ミリシーベルトで、最大値は
23.5ミリシーベルトだった。年齢別にみると、10歳未満の平均が 3.8ミリシーベルトとなる
など、若い世代が相対的に低い結果となった。
 今中助教は、避難が早期に行われたためとみている。 今中助教は「 今回 出た
平均値は、県が行う県民健康管理調査の結果と比較すると 約2倍に相当する。
結果の違いについて 今後 議論する必要がある 」と指摘している。
                                            (2013年11月18日 福島民友ニュース
 
 
 
  
  『飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)福島シンポジウム』(2013/11/17)
                        
http://t.co/B7bpKinVlD
        録画:http://t.co/7tbAW8SGxt
         (今中哲二氏による飯舘村の線量評価中間報告は、1時間38分頃~)
        配布資料    10/16
 
                               福島市アクティブシニアセンター
 
   まとめ
    ・ 我々のグループは、2011年3月末より飯舘村の放射能汚染調査を
     継続している.空間放射線量は 2年間で 約4分の1に減少したが、
     これからの減少は緩やかとなり、数10年、100年単位先を見据えた
     対応が必要であろう.
   ・ 飯舘村村民の初期外部被曝評価を試みた.これまでに 498件の
     聞き取りをして、1812人(村民の約3割)の行動データが得られた.
     2011年7月31日までの積算外部被曝の平均は7.0m㏜となった.
   ・ 村全体の集団外部被曝量は 43人・㏜と推定された。
     リスクアセスメントの一つとして、“直線仮説”に基づいてガン死リスクを
     見積もると、飯舘村6132人に対し 2~17件のガン死となった.これから
     のリスクコミュニケーションのための材料としたい.
     (内部被曝については、今回の報告では扱っていない。)
 
 
 
 

 
 
 
  68歳、農家の方からのご質問
   飯舘村に帰るかどうか決めかねています。子どもや孫はそれぞれの将来が
  あるので、無理強いはしません。村とご先祖さまのことを考えると、たいへん
  悩ましい。今後のことを考えるうえで、知りたいことがあります。
  空間線量率累積線量の違いが気になる。今〔2013年10月4日現在〕飯舘村役場
  の空間線量率は 0.672μSv/hです(もちろんもっと高い場所がいくらでもある)。
  年間に直せば 5.9mSvになるらしい。この数値が高いか低いか、そして これ
  10年20年続けば あっという間に100mSvを超えてしまうんではないかと思うのです
  除染で効果が出ればいいが それも未知数。1 時間単位の被曝の話ではなく、
  何年も何年も暮らしていく上で、何を指標にしたらいいのか、それを教えて下さい。
 
 回答
   ご質問中の 5.9m㏜という値は、役場の線量率が 1年間変化せず、同じ場所
  に ずっといたと仮定した場合の話です。実際には 線量率は 徐々に減っていき
  ますし、建物の中では 線量は低くなります。体の向きによる違いもあります。
   そのため、人に線量計を着けて、一定期間に受けた線量を測ってみると、計算値
  よりも かなり低くなることがわかっています。
   しかし、村内には 役場よりも 線量が高い地域が多数存在します。村では 当座
  の除染目標を年間 5m㏜以下としていますが、実際に どこまで線量が下がるか
  、やってみないとわからない部分があります。
   ここでは 年間数m㏜の被曝をするという想定の下で、ご質問の問題について
  考えてみることにします。
  事故により降り注いだ放射性物質は、半減期に従って放射能が減っていく他に、
  風雨移動に伴って減少します。 したがって、現在線量率が これからずっと
  続くことはなく、時間とともに 小さな値になっていきます。ただし、除染をした後
  に残るのは 取れにくい汚染であり、しかも セシウム137の半減期が 30年であること
  を考えると、線量率の減り方は 年を追うごとに緩慢になります。
   若い方の場合、生涯を通してみれば、
事故由来の被曝が100m㏜に達すること
  はあり得ると思います。
  それでは、この レベルの被曝に対して、科学的には どのような影響が確認され
  ているのでしょうか。 多少 専門的な話になりますが、原爆被爆者の疫学調査
  (10万人近い人を 50年以上にわたって追跡しており、最も信頼性が高いとされています)に
  おいて、100ないし200m㏜を超えると、発がん率・がん死亡率若干増加する
  ことが確認されています。線量が低ければ 発がん率・がん死亡率の増分も
  小さく、100m㏜以下では、増えているのかどうか はっきりしません
  
事故以来、多くの専門家 100m㏜以下では放射線の影響確認されていない
  という趣旨の発言を繰り返して来ましたが、その背景にはこのような データ が
  ありますまた、原爆放射線は 瞬間的な被曝であったのに対して、汚染地域
  に住む場合は 長い時間をかけて被曝するという違いがあります。この点から
  注目されるのが、自然放射線の レベルが高い地域に住む人たちを対象とした
  疫学調査です。例えば、インド・ケララ州のカルナガパリ地区では、1年間の線量が
  平均4m㏜、高い人では70m㏜にも達します。この地区の住民約7万人を平均
  10年以上追跡した調査によれば、被ばく線量と発がん率との間に関連はなく、
  累積線量100m㏜を超える人達についても、放射線によってがんが増える
  という証拠は得られていません。今後、追跡期間が長くなれば 何らかの傾向
  が認められる可能性はありますが、ゆっくり時間をかけた被曝の場合、瞬間的
  な被曝に比べて影響は小さいと考えられています
   
これらの情報を総合すると年間数m㏜を数十年にわたって受け続けたとして
  放射線による発がんの リスクは、それほど大きくならないと考えられます別の
  言い方をすれば、この レベル被曝に発がん作用があったとしても、生活環境中の
  様々な発がん因子(煙草、お酒、ピロリ菌やある種の ウイルスへの感染、塩分の取りすぎなど
  の陰に隠れてしまうだろうということです。
  それでも、リスク
ゼロだとは言い切れず、全く無駄な被曝である以上、できるだけ
  線量を低くする工夫が望まれます。家の中や周辺の線量率を把握しておけば
  ちょっとした心がけで被曝を減らすことができます。自分の被曝は自分でコントロール
  するという意識を持つことが大切なのではないかと思います
                          (
回答:東京医療保健大学 伴信彦
 
 
 
   被曝は 大したこと ありません。 
   お子さんやお孫さんが この地に住んで 何の問題もありません。
 
   ただ、不養生で病気になるように、放射線で 病気になることもあります。
   しかし、その病気が 被曝によるものとは分るはずはないんだから、
   もし、放射線が原因で病気になったとしても、あなたが 日頃の工夫を
   怠ったからで、ここに居住を許した行政 や アドバイザーの私のセイでは
   ありません。
 
  ――― と、飯館村のアドバイザー・伴信彦氏は言っているのである。
   彼は、この地の若い年齢の人々の被曝低減のために、当てにならない
   除染の他に、国村が 特別に何も対策をとる必要はない。除染
   以外の放射線対策は 住民が 自己責任ですればよいと言うのである。
 
   行政や専門家の 責任回避or原子力推進のために、
   「 放射能 大したことない 」という前提を設けた以上、被曝のリスクは
   住民の自己責任に帰せられるのは 必然的な帰結である。 
  
 
 リスコミ・アドバイザーマニュアル
 
  1.住民を被曝環境に縛り付けておくor帰還させるために、
  2.被曝の健康影響は否定的に言い、
  3.住民自身の意思で 汚染地に住むように仕向けつつ、
  4.被曝住民の自己責任は しっかり言っておく。
  5.そして、行政や専門家への責任追求の芽を できうる限り摘む。
 
 このための巧みな技量(住民を眠らせる話術)だけが アドバイザーには求められている。                                     
 
 
                              

広河隆一 講演会 チェルノブイリ と 福島 で見た被曝

$
0
0
 
 
  広河隆一 講演会
 チェルノブイリ と福島 で見た被曝
                http://youtu.be/tqkx3ajMvpU
 
      日時  2013年12月7日(土)
    会場  札幌教育文化会館305号室(札幌市中央区北1条西13丁目)
      講演   広河隆一氏(フォトジャーナリスト、ビデオジャーナリスト)
      主催:  広河隆一講演会実行委員会
 
 
 
 
 
 
 
 

サイエンス(科学的事実)とポリシー(対処の考え方)の区別

$
0
0
 
    どうして、専門家は 呂律のまわらない日本語で我々に語りかけるのだろうか? 
  こういう専門家が どうして この国の中枢に発言権をもっているのだろうか?
 
  ―― 長滝氏に答えてほしいのは、
  放射線の話ではなく、このような問いに対してである。
 
      ① 100m㏜以下の急性被曝による発癌のリスクのために、医療被曝が問題になって
    きたのではなかったのか? このことを 長滝氏は すっかり忘れている。 
   ② 「慢性被曝は、急性被曝よりも リスクが低い」というのは、氏のUNSCEAR信仰と同じく、
    長滝氏個人が そう信じ込んでいるだけであろう。 
   ③ 住民の被曝を軽減し、「それを防護するための実害(避難に伴う引越し・失職など) 」
    を緩和するために あらゆる手段を講ずるのが、行政の腕の見せ所のはずだが、
    「放射能大したことない」とすることで 行政からこの仕事を奪って、住民に被爆を強いる
    のは、長滝氏個人の<ポリシー>のようだ。
 
 
 
首相官邸 Prime Minister of Japan and His Cabinet
 
 
                                                                            平成23年9月29日
      長瀧 重信・長崎大学名誉教授
                元(財)放射線影響研究所理事長、国際被ばく医療協会名誉会長

 昨今、1mSv(ミリシーベルト)以上の被曝は危険であるという「科学的事実」があるかのような言説が
流れ、特にお子さんを持つ親御さんたちが不安に包まれています。放射線の影響を正しく社会に
伝えるには、どうすればよいのか。
 私は、「科学的事実」=≪サイエンス≫ と 「放射線防護の考え方」=≪ポリシー≫を、専門家が
分けて正しく説明することも有用ではないかと思います。
東電福島原発事故以降、この≪サイエンス≫と≪ポリシー≫が混然と扱われているように感じられ
ます。
 
●「影響は認められない」という報告は、≪サイエンス≫
 
「 世界平均で、人間は 自然放射線(宇宙から・大地から・食物により体内から)を 1年間に
2.4 mSv被ばく(慢性被ばく)している 」 と報告しています。したがって、40歳以上まで生きれば、
人間は 平均100mSv以上被ばくすることになります。これは、科学的な事実=≪サイエンス≫
です。
 では、急性被ばくの場合の ≪サイエンス≫ とは 何か。 人間に対する放射線の影響は、
他の環境物質と同じく、「個人」のレベルでは因果関係を証明することは困難です ( つまり、例えば
ある人がガンを発症したとき、その原因が放射線の影響によるのか他の要因によるのかは、
明らかな見分けはつきません )。 そこで、放射線の影響の調査方法としては、疫学 (「集団」に
おける健康と影響要因との関係を探る学問) の手法が用いられます。そして、がんなどの疾患
の発生率が 平時の状況に比べて 有意に(誤差の範囲でなく明らかに)差があるときに、「放射線
の影響が認められる」という表現が使われます。
 例えば、原爆の放射線被ばく(急性被ばく)において、100 mSv以上のケースでは 被ばく線量
とがんのリスクとの間には、 「 100 mSvでがんのリスクは1%増加、200 mSvなら2%増加、
500 mSvなら5%増加 」 -- という比例関係(これを“直線的な有意の相関”と言います)が
認められます。  しかし、100 mSv以下のケースになると、そうした有意な相関(50 mSvなら
0.5%増加、10 mSvなら0.1%増加、というような明らかな調査結果) が見出せません。つまり、
100 mSv以下では、被ばくと発がんとの因果関係の証拠が得られないのです。これは、科学的な
事実=≪サイエンス≫です。
 このような科学的事実で 国際的な合意を得られたものを発表する機関がUNSCEARですから、
疫学的には、100mSv以下の放射線の影響は認められない」という報告になるわけです。
 
 
●「影響があると仮定」した勧告は、≪ポリシー≫
 
  これとは別に、「放射線被ばくは、少なければ少ない方がよい」という考え方=≪ポリシー≫
≪ポリシー≫であると言えます。 ≪サイエンス≫と≪ポリシー≫は、無関係に並立しているので
はありません。 ≪ポリシー≫を決める際の根拠となるものが、≪サイエンス≫です。すなわち、
 
 ①放射線の影響は、被ばく線量に比例して直線的にがんのリスクが増えること
 ②100 mSv以下では、そうした影響が疫学的に認められないこと
 ③急性被ばく と 慢性被ばくの違い
 
--- などの、UNSCEARが認めた放射線の科学的影響=≪サイエンス≫ を十分に理解した
うえで、ICRP勧告は ≪ポリシー≫として、100 mSv以下でも影響があると仮定し、100 mSv以上
における“線量と影響の直線関係”のグラフの線を100 mSv以下にも延長して、放射線の防護
の体系を考えています。
 
 つまり、原爆の急性影響では 100 mSvで がんのリスクが1%増加しますので、「 10 mSvでは
0.1%、1 mSvでは 0.01%がんのリスクが増加する」 という仮定を立てて、被ばく限度の値
を示すベースとしたのです。そして 平時では、一般の人は「 公衆限度として、1 mSv/年 」と勧告
し、職業人は 「20 mSv/年」 或は 「50 mSv/年、ただし 5年間で計100mSv内」と勧告しています。
 
 また、緊急時で 被ばくがコントロールできないときには 20~100 mSvの間で、事態がある
程度収まってきたら 20~1 mSvの間で、レベルを決めて対策を計画するとされていますが、
それも、100mSv以下では 科学的な影響が認められていないという ≪サイエンス≫を
踏まえたうえでの、上記仮定に基づく ≪ポリシー≫です
 
 「 放射線関係の取り扱いを職業にしている人は、なぜ 一般の人の20倍、50倍も被ばくしてよい
のか。また、緊急時になると なぜ 平時より 沢山被ばくしても OKになるのか。同じ肉体ではない
のか 」という疑問を聞きますが、それは、これらの勧告値が ≪サイエンス≫ではなく ≪ポリシー≫
であることを明確に示しています。
繰り返しますが、その際、≪ポリシー≫は≪サイエンス≫を 「根拠」としており、「逸脱」したもの
では決してありません。
 
 なお、上記の緊急時の勧告が、線量のレベルに幅を持たせているのは、「放射線による直接
の害(人体への影響)」 の発生可能性と、「それを防護するための実害(避難に伴う引越し・失職
など)」 とのバランスなど、社会的な様々な要因を合わせ考えて、ケースごとの状況に合わせて
最適な設定をできるための幅であると理解できます。 
 
 
●≪サイエンス≫のUNSCEAR、≪ポリシー≫のICRP
 
 以上でおわかりの通り、UNSCEARは、純粋に科学的所見=≪サイエンス≫から調査報告書を
まとめる事を意図して作られた組織です。一方、ICRPは、このUNSCEARの報告書を基礎資料
として用い、政治・経済など社会的情勢を考慮した上で、総括的な勧告=≪ポリシー≫を出して
います。
 
 UNSCEARは、放射線による被ばくの程度と影響を評価・報告するため、国連によって1955年
に設置された委員会です。1950年代初頭の冷戦下、核兵器の開発競争のために核実験が頻繁
に行われ、放射性降下物などによる一般公衆の被ばくの懸念があったことから、科学的事実に
基づいて核実験の即時停止を求めるなどの提案を行う意図で設置されました。その報告書は、
独立性と科学的客観性が保たれています。事務局はウィーンに設けられています。
 
 他方、ICRPは、専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う民間の国際学術組織です。
医学分野での放射線の影響に対する懸念の高まりを受けて、1928年に放射線医学の専門家を
中心として「国際X線およびラジウム防護委員会」が設立され、現在のICRPの元になっています。
イギリスの非営利団体として公認の慈善団体であり、科学事務局はカナダのオタワに設けられて
います。
 ICRPは、勧告の策定にあたっては、国際的な意見聴取(パブリックコメント)を実施し、透明性の
確保 及び利害関係者の関与を図っています。 この勧告は、世界各国の放射線障害防止に
関する法令の基礎にされています。我が国における放射線防護に関する技術的基準の考え方
も、このICRP勧告を尊重して、文部科学省の下にある「放射線審議会」で検討されてきています。 
 例えば、平成3年(1991年)に、「ICRP1990年勧告(Pub.60)」 が公表されましたが、その内容の
国内制度への取入れが放射線審議会で検討されました。その結果、平成10年(1998年)6月には
意見具申がまとめられ、放射線障害防止に関する諸法令に反映されています。このように、
放射線審議会での検討が、我が国における放射線防護に関する基礎となっています。
 最近では、平成19年(2007年)12月に、1990年勧告に代わる 「2007年勧告(Pub.103)」 が
ICRPより公表され、それを受けて その国内制度等への取入れについて 放射線審議会で審議が
なされ、その中間報告が 昨年1月にまとめられています。
 
●再び、科学者の社会的責任について
 
 以上、私がかねてから重視しているサイエンスとポリシー(科学的事実と対処の考え方)との
この稿でも述べてきました。
 
 わが国が、≪サイエンス≫に基づいて、どのような ≪ポリシー≫で事故後の対処をしてきたか、
また、対処していくか。 どのように、子どもたちをはじめとする国民の皆さんの健康を現実に守り
ぬいていくか。これは 国内的に重要なだけでなく、それを 正確に世界に発信し、今後の世界の
模範となっていくことも大切です。 それが果たせることを、願ってやみません。 
 
 
      (参考)
       UNSCEARの報告書はWebにて無料公開されています。
                    http://www.unscear.org/unscear/en/publications.html
       ICRPの刊行物は、概要版がWebにて無料公開されています。
                    http://www.icrp.org/publications.asp
      また、ICRPの刊行物は、例えば(社)日本アイソトープ協会などから日本語版を
      購入することができます。
 
 
 
 
 
 
 

2014年 海産物の汚染状況

$
0
0
 
  水産物の 福島第一原発からの放射能汚染は、
 今のところ、「事故からの時間の経過に伴い低下してきており・・・」(水産庁)
 と、順調に低減しているようです。 一応 一安心といったところです。
 
  ‘ 一応 ’と言ったのは、
 
 1.汚染の低減は 大まかな傾向で、個々の汚染濃度を保証してはいない。
    海底にできたホットスポットからの魚介類の汚染は、その全体像がわからず、
    モニタリングは これを十分に反映していない可能性もある。
    また、今後 ホットスポットの移動 や 食物連鎖の動向は予断を許さないだろう。
 2.モニタリングは 放射性セシウムだけで、ストロンチウムなどは ほとんど調査していない。
      ↓の「水産物の放射性物質調査結果」1,2 参照
 3.今後 第一原発から汚染水が海洋に流出しない保証はない。
    政府は、除去不可能な トリチウムのリスクには 目をつむって 汚染水の大量海洋投棄を
    折り込んでいる。放射能除去装置・アルプスの他核種の除去性能にも不安がある。
    また、融け落ちた核燃料に触れた地下水が サイトの湾口の外で湧き出して海洋に
     出ている可能性もある。
 4.食品の基準値は 放射性セシウムだけで、海産物で問題となる ストロンチウムや
  トリチウム等については設けられていない(考慮されていない)。
 5.放射性セシウム濃度が低減しているなら、それに合わせて 基準値も下げる
  べきものである。
    日頃 食卓に海産物を多く使う家庭では、特に 若年層にとって 100㏃/㎏という セシウムの
     基準値は あまりに高すぎる(米食を基本とする家庭についても、同様)。
 6. また、河川から海に流出する放射性セシウムは 要注意である。
    太平洋岸のみならず 日本海の汽水域や湾内の海草・魚介類に汚染が 次第に出てくる
         可能性がある。
 
 と言った理由からです。
 
 
 

水産物の放射性物質調査の結果について~1月16日更新~

  (株)東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質の放出による水産物の
汚染状況を調べるため、水産庁は、水産物の放射性物質検査に関する基本方針食品中の放射性物質に関する「検査計画、出荷制限等の品目区域の設定解除の 考え方」に基づき、関係自治体及び関係業界団体等と連携し、福島県及び近隣県
の主要港において、水産物を週1回程度サンプリングして調査しています。  
  (株)東京電力福島第一原子力発電所事故以降、これまで 44,198検体の水産物
の放射性物質調査を行ってきました (平成25年12月27日現在)。調査の結果、基準値
(100 Bq/kg)を超える割合は 事故からの時間の経過に伴い低下してきており、
特に 福島県においては、平成23年 4-6月期には 基準値を超える割合が 53%と
なっていましたが、平成25年 10-12月期は 1.9%まで低下しました。
 
【福島県における調査結果】
 fukushima12
 
 
【福島県以外の自治体における調査結果】
other_pref12 
 
 
 
  これまで調査した全検体の詳細については、
以下の 「1. 水産物の放射性物質調査結果(一覧表)」 をご参照ください。
なお、基準値を超過した水産物については、出荷制限や採捕自粛等の措置が
執られております。 詳細については、以下の 「4. 各自治体における操業状況等
について」 をご参照ください
  放射性物質調査の概要や魚種毎の傾向などについては、
 

1.水産物の放射性物質調査結果(一覧表)

 
 

2.水産物の放射性物質調査結果(地図)

 

4.各自治体における操業状況等について  

【海面】
東日本太平洋における水産物の出荷制限・操業自粛等の状況。()、(
                             (12月12日現在)
                                  (12月25日現在)
【内水面】
各県の水産物の出荷制限・採捕自粛等の状況。()(12月12日現在)
                                  (12月25日現在) 
 
  なお、福島県沖では、現在のところ 全ての沿岸漁業 及び底びき網漁業の操業
は行われていません。 
  ただし、ミズダコ、ヤナギダコ、スルメイカ、ヤリイカ、ケンサキイカ、ジンドウイカ、
    ケガニ、ズワイガニ、沖合性のツブ貝(シライトマキバイ、チヂミエゾボラ、エゾボラモドキ
     及びナガバイ)、キチジ、アオメエソ(メヒカリ)、ミギガレイ(ニクモチ)、ユメカサゴ、
    ヤナギムシガレイ、キアンコウ、アカガレイ、サメガレイ、アカムツ、ヒレグロ、
    チダイ、マアジ、メダイ、コウナゴ(イカナゴの稚魚)、シラス(カタクチイワシの稚魚)、
  ベニズワイガニ、ヒゴロモエビ、ボタンエビ及びホッコクアカエビを対象とした
  試験操業を除く。)   
 
 

 
 
 
 

Q.3 海に放出された放射性物質の水産物への影響はどうでしょうか。

 A.文部科学省や東京電力が実施している東京電力福島第一原子力発電所
周辺海域から沖合域の海水や海底土の モニタリング 調査の結果によると、海水中
の放射性物質は 希釈・拡散により、濃度が減少傾向にあります。
  又、海底土から 平常時よりも高い濃度の放射性物質が検出されても、必ずしも
その水域に生息している魚類等から基準値を超える濃度の放射性物質が検出
されるとは限りません。
この理由の一つとして、放射性セシウムが土壌中の粘土に強く吸着されることにより、生物の体内に取り込まれにくいことが挙げられます。
  又、これまでの海産の水産物の調査結果によると、原発事故直後の平成23年
4-6月期には 21%の海産水産物が 100 Bq/kgを超過していましたが、平成25年
1-3月期には 3%まで減少しました。
 
 魚種別に見ると、海を広く回遊する カツオ・マグロ類、サケ類、サンマ等については、
これまで基準値を超えるものは見つかっていません。 事故直後に高い濃度が
検出された シラス(イワシ類の仔魚)や コウナゴ(イカナゴの稚魚)を含む表層に棲息する
魚については、平成25年2月に福島県沖において採取された サヨリ 1検体を除いて、
平成23年秋以降は 基準値を超えたものは見つかっていません。
貝類、イカ・タコ類やエビ・カニ類等の無脊椎動物や、ワカメやノリなどの海藻類
についても、現在は 基準値を超えるものは見つかっていません。 
 
 一方、一部のカレイ・ヒラメ類やマダラ等の海底近くに棲息する魚種では、幾つか
の魚種で 依然として基準値を超える海域がありますが、徐々に その割合は少なく
なってきています。
又、海底近くに棲息する魚類でも 基準値を超える種と そうでない種があり、
例えば マダラについては 福島県以外でも基準値を超えたことがありますが、同じ
タラの仲間である スケトウダラ は 福島県以外では基準値を超えたことはありません。こうした濃度の違いが起きる原因には、食性や生息環境が関係していると考えら
れています。
  引き続き、動向を注視しながら、水産物への影響を見極めていきます。
 
 
             ■      ■      ■
 
  日本の新基準値とウクライナ・ベラルーシの許容制限値、そして現行理想的な制限値
 
今中哲二氏
「ウクライナでの事故への法的取り組み」  http://t.co/WNOZLIr5
「ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要」 http://t.co/0m4sNL3h
 
                          (未完成)

戦後日本の右派と左派 ――― 一つの見方

$
0
0
 
 対米従属と隣国謝罪  二者択一の限界
  ~~ 米に通じぬ 無意識のロジック
                    内田樹(タツル)・神戸女学院大名誉教授
 
 東京裁判は 戦後日本に対して 2つの義務を課した。
一つは、敗戦国として 戦勝国 アメリカ に対して 半永久的に「従属」の構えをとること。
一つは、侵略国として アジアの隣国(とりわけ中国と韓国)に対して 半永久的に謝罪
の姿勢を示し続けること。
 
 従属と謝罪、それが 東京裁判が戦後日本人に課した国民的義務であった。
けれども、日本人は それを 「あまりに過大な責務」 だと感じた。二つのうち せめて
一つに絞って欲しいと (口には出さなかったが) 願っていた。
 
 ある人々は、「 もし、日本人に 対米従属を求めるなら、日本が アジア隣国に対して
倫理的疾しさを持ち続ける義務からは 解放して欲しい 」と思った。
 別の人々は、「 もし、東アジアの隣国との信頼と友好を深めることを 日本に求める
なら、外交と国防については フリーハンドの国家主権を認めて欲しい 」と思った。
 
  伝統的に、従属を求めるなら 謝罪義務を免除せよ と主張するのが 右派であり、
独自の善隣外交を展開したいので、アメリカへの従属義務を免除して欲しい と主張
するのが、左派である。
そういう二分法は あまり 一般化していないが、私は そうだと思う。
 
 ともかく その結果は、
戦後の日本外交は 「対米従属」に針が振れると  アジア諸国との関係が悪化し、
アジア隣国と接近すると  「対米自立」機運が高まるという 「 ゼロサムゲーム 」の様相
を呈してきた。
 
 具体的に言えば、戦後日本人は まず アメリカへの従属を拒むところから始めた。
内灘・砂川の反基地闘争から 60年安保闘争、ベトナム反戦運動を経由して、対米
自立運動は 70年代半ばまで続いた。
 
 高度成長期の日本企業の精力的な海外進出も 対米自立の一つのかたちだと
解釈できる。  江藤淳は アメリカ留学中に、かっての同級生である ビジネスマン が、
「 今度は 経済戦争で アメリカに勝つ 」と まなじりを決していた様子を回顧していた。
敗軍の兵士であった 50~60年代の ビジネスマンたちの少なからぬ部分は、別の形
の戦争で アメリカに勝利することで、従属から脱する方位を探っていた。
 
 だから、日本国内の ベトナム反戦運動の高揚期 と 日中共同声明が 同時であった
ことは 偶然ではない。 このとき、アメリカの 「許可」を得ないで 東アジア外交を主導
しようとした 田中角栄に アメリカが何をしたのかは、私達の記憶に まだ新しい。
 
 同じロジックで、政治家たちの「理解しにくい」ふるまいを説明することもできる。
中曽根康弘と小泉純一郎は、戦後 最も親米的な首相であり、それゆえ 長期政権
保つことができたが、ともに靖国参拝、韓国を激怒させた経歴を持っている。
彼らは 恐らく 「従属義務」については 十分以上のことをしたのだから、「謝罪義務」
を免ぜられて当然だと思っていたのだ。
 
 その裏返しが 「村山談話」を発表し、江沢民反日キャンペーンを黙過した村山富市
と東アジア共同体の提唱者であった鳩山由紀夫である。
彼らは ともに「謝罪義務」の履行には心を砕いたが、アメリカへの「従属義務」履行
には あきらかに不熱心だった。
 
 このようにして、戦後70年、従属義務を テキパキと履行する政権は アジア隣国への
謝罪意欲が希薄で、 対米自立機運の強い政権は 善隣外交を選好するという
「ゼロサムゲーム」が繰り返されてきた。
 
 
 このロジックで 安倍首相の行動は 部分的に説明できる。
今回の靖国参拝は、普天間基地移転問題での アメリカへの「従属」のポーズを誇示
した直後に行われた。
「 従属義務は 約束通りに果したのだから、謝罪義務は免じてもらう 」という ロジック
は、どうやら 首相の無意識にも 深く内面化しているようである。
 
 問題は、アメリカ自身は 「従属か謝罪か」 の二者択一形式には 興味がないという
ことである。彼らが同盟国に求めているのは、端的に 「 アメリカの国益増大に資する
こと 」だけである。
 「 我々は アメリカに対して 卑屈に振る舞った分だけ、隣国に対して 尊大に構える
権利がある ( その結果 アメリカの「仕事」が増えても、その責任は 日本に従属を
求めたアメリカにある) 」という 日本人の側のねじくれた理屈に同意してくれる人は、
ホワイトハウスには たぶん一人もいない。
 
                          内田樹の研究室(内田氏のブログ)
 
 
  参考: 国内問題として首相の靖国参拝を考える     江川 紹子    2014年1月19日
       2013年12月27日  「安倍総理の靖國参拝」   田母神 俊雄
                                      櫻井よし子
       
                       (未完成)
   

インド・ジャドゥゴダ・ウラン鉱山

$
0
0
 
            京都大学原子炉実験所  小出 裕章    (2002年2月14日記)
 
インドの原子力開発とジャドゥゴダ
 「アンタッチャブル」。 アメリカ・マフィアの親分「アル・カポネ」を描いた映画の題名であった。
インドは 329万
km2の国土 10億人人口を抱える。それぞれ日本の8倍に相当する。
1人当りGNPは、340ドル(1995)。 農林・漁業就業者比率、61.6%(1995)。
平均寿命、男60歳,女61歳(1992ー93)。
 日本でいえば、第2次世界戦争直後程度の生活レベルである。 そして、いまだ
多くの国民が貧しい中でも 厳しい カースト制度があり、その カースト制度からさえ疎外
された 「 アンタッチャブル不可触賤民)」 がいる。ガンジーは 彼等のことを 「ハリジャン
神の子)」と呼んだが、それでも厳しい身分制度の中で 苦難の歴史を背負ってきた
人々である。
 
      図1 インドの核開発施設の位置
            
 
 ところが インドには、その不可触賤民にすらなれない先住民達がいる。 とくに、
インド東部・ビハール州には そうした先住民が多く住んでいた。 その ビハール 州の中
でも 南部の ジャールカンド には 特に 多くの先住民が住み、長い独立闘争を経て
昨年 ようやくにして ビハール州から独立、「ジャールカンド州」として 一つの州となった。
そこでは 人口の 28%が先住民だ という。
 
         図2 ジャールカンド州鉄道地図
 
 インドにおける核関連施設の位置を 図1に、ジャールカンドの鉄道地図を図2に
示す。 ジャールカンドの人口は 約1億人、州都 ランチー には 周辺部を含めて 2600万人
が住んでいると聞いた。東側には カルカッタを州都とする 西 ベンガル 州が、南には
ブベシュワールを州都とする オリッサ州があり、 ジャールカンド州には 上記2つの州の中に
食い込むように「East Singbhum」と呼ばれる細長く延びた地域がある。
  その付け根に タタナガルがあり、さらに その先に インドの一連のウラン鉱山がある。
第1 ウラン鉱山は 「Narwapahar」、第2 ウラン鉱山が 「Bhatin」、そして 第3 ウラン鉱山
が 「Jadugoda」である。
ジャドゥゴダ中心部の位置は 東経86度20分、北緯22度40分、タタナガル の鉄道の
駅から直線距離で 24kmである。 Narwapahar から Jadugodaまでは わずか 10km
であり、3つのウラン鉱山は インド国営の会社UCIL (Uranium Corporation India Limited
によって運営されている。
 
 ただし、インドは 世界でも有数のトリウムの産地ではあるが、ウラン鉱石の品位は
低い。 通常、ウラン鉱石は 0.2%以上の品位でなければ採算に合わないといわれ
ているが、ジャドゥゴダを含めて これらの ウラン鉱山での ウランの品位は 0.06%
しかない。 これら 3つの ウラン鉱山で掘られた鉱石は ジャドゥゴダに集められて
製錬され、生じた鉱滓は すべてジャドゥゴダの鉱滓池に捨てられる。
  ジャドゥゴダの製錬能力は 1日当り 約 1000トンであり、品位を 0.06%とすれば
1日に得られるウランの量は 600kgとなる。
結局 ジャドゥゴダを含めて インドで生産されるウランは イエローケーキ(U38)に
して 年間 200トンである。 これでは、いくら 天然ウランを そのまま使えるといっても、
現状のインド国内の14基の原子力発電所を維持することすらできない。
 一方、生じる鉱滓と残土の量は厖大である。鉱滓だけでも 年間40万トン、40万m2の鉱滓池を作っても 毎年1mずつ池が埋まっていくことになる。その上、鉱山で
掘り出して周辺に捨てられる残土は そのまた数十倍となり、管理することすら容易
でない。
 
 ジャールカンド全体にも当てはまることであるが、Narwapaharから Jadugodaに至る
地域は 元々 インド先住民の土地であった。 何故か、米国でも オーストラリアでも、
ウランは 先住民の土地で発見され、それ故に 先住民は 苦難の歴史を背負わされ
きた。そして、インドの この地域でも ウランが発見されたために、先住民は 土地を
奪われ、自らの生活圏を放射能で汚染されることになった。
 
   
              
 
ジャドゥゴダでの健康被害
 ジャドゥゴダ周辺において深刻な放射能被害が生じていることを伝えたのは、2000年
地球環境映像祭で大賞を受賞した映画 「ブッダの嘆き」であった。 その映画では、
ジャドゥゴダに 巨大な鉱滓池が作られ、その内外で生活せざるを得ない先住民たち
に さまざまな疾病が生じていることが示された。 特に 近年になって 子どもたちに
現れてきた先天的障害は 深刻な様相だという。
 UCILを相手に闘ってきた JOAR(Jharkhandhi Organization Anti Radiation)の調査に
よれば、鉱滓池から 1kmの範囲内に 7つの村があり、そこでは 47%の女性が
月経不順に悩み、18%の女性は ここ 5年以内に流産 或は死産を経験したという。女性の 3分の1は 不妊であり、住民の間には 皮膚病 やガン、先天的異常などが
多発しているという。
そして JOARの闘いの結果、州保健局による健康診断がなされるようになり、診断
を受けた鉱滓池近くの住民 712人の内 32人が放射線による疾病の疑いをもたれた。
 
放射能汚染調査
 2000年夏に 大賞の授賞式に来日した「ブッダの嘆き」監督のシュリプラカッシュ氏と
JOAR代表である ビルリ氏の来訪を受け、現地の放射能汚染状況調査に協力を
求められた。 私にできることは 放射能の測定だけであるが、協力できることに
ついては 協力する旨の約束をした。
 
 
A.ウランが持つ危険
  天然に存在しているウランでは、質量数238のウラン(U-238)が 99.3%を占め、
質量数235のウラン(U-235)が 0.7%を占める。 軽水炉の場合には、核分裂性である U-235の存在比を高める操作(濃縮)が必要となるが、 インドで利用されている
CANDU型原子炉では、濃縮操作は必要とせず、天然のウランが そのまま 燃料と
できる。
  したがってジャドゥゴダの汚染を考える場合には、天然ウランの汚染を考えればよいし、同位体存在比圧倒的に多い U-238の汚染を調査することが中心的な課題に
なる。 
 
 しかし、U-238は 単独で崩壊するだけでなく、ウラン系列と呼ばれる 一連の崩壊を
経て 最終的に安定な鉛 206になる。 図3に ウラン系列の崩壊様式を示すように、
 U-238が 鉛206になるまでには 合計14種類の放射性核種に姿を変える。
そして、これらの放射性核種が生み出された その場所から動かないのであれば、
14種の放射性核種の放射能強度は すべて等しくなることが知られていて、そうした
状態を「放射平衡」と呼ぶ。
                    
              図3  ウランの崩壊系列図
     
  たとえば ウランが地底に眠っていて、その場所に激しい地下水の流れがないような
場合には、「放射平衡」になっているものと思われる。 しかし、一度 ウランを地上に
引き出してしまうと、放射平衡の状態は崩れてしまう。  なぜなら 崩壊系列の途中
にあるラドンは 希ガスに属し、完全な気体として挙動しようとする。 そのため、ウラン
を含んだ鉱石や土壌の中から 空気中に逃げ出してしまい、鉱石や土壌中の ラドン
以下の放射能濃度は低くなる。 また、ラジウムは ウランに比べて水溶性であるため、
周辺に 水が存在している場合には鉱石や土壌から溶け出し、やはりウランに比べて
濃度が低くなる。
 一方、鉱石を製錬して ウラン を取出す場合には、当然、製品の中には U-238や
U-234が多くなり、その他の放射性核種は少なくなる (ただし、トリウム234 と プロトアクチニウム
234mは 半減期が短いため、すぐに U-238と放射平衡になる)。  逆に、廃物である鉱滓
には ウランが少なくなるが、トリウム230以下の全ての放射能が存在する。
 従って、地底に眠っていた ウランを地表に引き擦り出してしまえば、ウランそのもの
からの被曝、鉱滓となった トリウム以降の核種による被曝、そして 空気中に浸みだし
てくる ラドンによる被曝の3種類の被曝が生じる。
 
B.放射能による汚染の概略
 一昨年には、熱蛍光線量計(TLD)を 現地に配置して 空間γ線量の測定を行った
し、採取した土壌を日本に送ってもらって 土壌中の放射能濃度の分析を行った。
 また 昨年には、私自身が現地に行き、サーベイメータによる空間γ線量率の測定、
空気中ラドン濃度の測定、そして 土壌試料の追加採取を行った。
細かい測定報告は 別に譲るが、これまでに得た知見の概略を以下に記す。
 
 まず、現地の地図を図4に示す。この地図は 人工衛星写真を参考にしながら、
ビルリ氏が書いてくれたものを修正して作成した。この地図には、UCILや鉱滓池、
周辺の集落の位置などを示してあるし、数字で示したのは、昨年暮れに行った
空間ガンマ線量の測定地点などである。
 
           図4
         
 
 
1. 空間γ線量
 地球の地殻中には、どこにでも カリウム40 や ウラン、トリウムなどの天然の放射能が
存在していて 放射線を放出している。従って、人間は そうした天然の放射線から
の被曝を避けることはできない。ただ、地殻中に含まれる カリウム、ウラン、トリウムの
濃度は広範に変化していて、空間でのγ線の被曝量が高い場所もあるし、低い
場所もある。 ごく 一般的な場所では 年間で 0.3mSv(0.04マイクロSv/h)程度
であるが、ジャドゥゴダ地域は ウラン鉱山もある地域のため、元々 天然のγ線が
多い地域になっている。
 ジャドゥゴダ周辺の集落で 測定した測定値の概略を表1に示す。
 鉱滓池のγ線量が高いのは 当然であるし、住民の証言によれば 道路や家屋
の建設材料には 日常的に鉱山の残土が使われてきたとのことであった。
アスファルトで舗装された道路脇には 往々にして残土がむき出しになっていて、その
場所での線量は高い。また、集落内の家屋でも 残土を使った場所では 高い線量
が測定される。
 集落では、鉱滓池に接している DungridihとChatikochaの線量が高い。雨期には
鉱滓池が 溢れ、乾期には 干上った鉱滓池から鉱滓が舞い上がって周辺に播き
散らされているとのことで、これら 2つの集落でγ線量が高いこともうなずける。
 また、この2つの集落を別にすれば、比較的鉱滓池に近い Tilaitandにおいても、
空間γ線量は それほど高くない。
     表1 空間γ線量率の概略             
場所
マイクロSv/h
DungridhiとChatikocha
0.1~0.7
それ以外の集落
0.1~0.2
残土を使った道路など
0.5~0.7
鉱滓池
0.7~1.2
(参考)Ranchi
0.2~0.3
シェルター建設予定地
0.1~0.2
熊取
0.04~0.1
 
2. 土壌の汚染
 空間γ線量率の多い少ないは、その場所の土壌に含まれている放射能の量に
関連している。そして、その多い少ないを決める要因には、天然の理由もあるし、
人為的な理由もある。天然の理由は もちろん人間の力で避けることはできず、
受け入れるしかない。
 昨年分析した土壌中のウラン濃度の概略を表2 に示す。鉱滓池では 日本の土壌
に比べて 数十倍から数百倍 ウラン濃度が高い。又、建設資材として残土が使われ
た道路などでは やはり ウラン濃度が高い。
空間線量率が高かったDungridihとChatikochaの集落には やはり ウラン濃度の
高い場所がある。さらに、製錬したウランを積み出す Rakha Mine Station の汚染
は著しい。                         
             表2 土壌中のウラン濃度            
場所
ウラン濃度[ppm]
Rakha Mine Station
5200
DungridhiとChatikocha
2~30
それ以外の集落
4~11
残土を使った道路など
20~110
鉱滓池
40~530
(参考)Ranchi
17
熊取
3. 空気中ラドン濃度
 空気中ラドン濃度の測定については、未だに満足のいく データを得ていないが、
昨年暮れに実施した 3カ所での測定値を表3に示す。
  通常の屋外環境のラドン濃度は 10Bq/m3程度なので、ジャドゥゴダ周辺の集落
における ラドン濃度も高めになっている。 その理由は 天然によるものかもしれない
が、鉱滓池における値は 数十倍となっていて、鉱滓池から ラドンの汚染が広がって
いることを示しているように見える。
  また、Bhatin鉱山の坑道からの排気口での値は そのまた 10倍となっており、
坑道内で働く労働者の被曝が心配である。 特に、すでに述べたように インドの
ウラン資源は貧弱で、ジャドゴダの ウラン鉱石の品位は低いし、その上、当初 500m
から600mほどの深さであった掘削坑道は 今では 1000mもの地底になっている
といわれる。 鉱山労働者として かり集められている先住民たちの健康問題こそが、
ジャドゥゴダの最大の問題なのではないかと思うようになった。
 

         表3 空気中ラドン濃度 

場所
ラドン濃度[Bq/m3]
集落(Tilaitand)
45
鉱滓池(第一)
260
Bhatin鉱山坑道からの      排気口   
2400

 
 

問題の所在

A.汚染は存在している
 当たり前のことであるが、汚染は存在している。ウランを地底から掘り出し、それを
地表付近に 野ざらしで放置するようなことをすれば、汚染が生じない道理がない。
その上、始末に困った残土を積極的に建物や道路の建設資材に用いるようなこと
をすれば、汚染は さらに拡大する。
 JOARの要請に応じて設置された ビハール州の環境委員会は2年にわたって周辺
を調査した上で、1998年12月に最終報告を出しているが、その中で、「鉱滓池周辺
5km以内には集落はあるべきでない」と指摘している。
ただし、これまでの私自身の調査によれば、鉱滓池を中心にした汚染は 未だに
広範囲には広がっていないように見える。 DungridihとChatikochaの2つの集落は
鉱滓池に接していることもあり、土壌が汚染されているし、空間のγ線量も高い。
しかし、Tilaitandを含め鉱滓池に 直接接していない集落での空間γ線量は高くないし、土壌にも 鉱滓からの汚染は見られない。
 ただし、ビハール州環境委員会が すでに指摘しているように、鉱滓池は住民の
生活の場所になっており、住民は放射能の危険性を知らされないまま日常的に
鉱滓池に出入りしている。当然、被曝も生じる。
 
B.シェルター建設について
 ジャドゥゴダで子供達に先天的な異常が多発していることを受け、日本に生まれた
支援組織「ブッダの嘆き基金」は ジャドゥゴダから 20km程度離れた場所に新たに
「シェルター」を建設して 子供達を避難させる計画をたてている。
計画は すでに動き出していて、土地の造成や一部の建物の建設作業も始って
いる。 その場所における空間γ線量の値は すでに表1に示したが、ジャドゥゴダに
おける普通の集落と変わらない。 したがって、ジャドゥゴダのDungridihとChatikocha
以外の集落の子供達を シェルターに収容しても、被曝を減らすことはできない。
  日本のように 誰もが車を利用できるような社会でない世界で、ジャドゥゴダの住民
から見れば、自らの生活の場所から はるかに離れた場所に子供達を収容する
ことは 本当に よいことなのであろうか?
 ついでに 一言述べておけば、やはり 表1に示しておいたように、ジャールカンド州の
州都であるランチーは、おそらく 地殻中の天然起源の トリウム や カリウムの濃度が
高いため、空間γ線量が高い。 したがって、もし ランチーに ジャドゥゴダの子供達
のための シェルターを建設し、そこに 子供達を収容すれば、子供達の被曝は むしろ
増えることになる。
 ただし、シェルター建設のための 先住民たちの努力は、すでに 多数の集落と住民
を巻き込んで進んでおり、先住民たちの連帯を築き上げるための 大きな力と
なっている。
C.差別の構造
 ジャドゥゴダは もともと先住民の土地であった。しかし、ウランが採掘されることに
なって、住民たちは 土地を奪われた。 農地であった場所 或は集落そのものを
奪われた住民たちが DungridihやChatikocahの集落に暮らしている。
私が Dungridihを訪ねた時に、一人の住民が寄ってきて、怒った顔で 私達に何か
言っていた。後で聞いたことだが、彼は 「 自分たちの集落が 危険であることは
分かっている、しかし、一体 どこに住めと言うのだ 」と言っていたのだそうだ。
D.故なき被曝は避けねばならない
 放射線を被曝することは どんなに微量であっても危険をともなう。 しかし、この
地球上には もともと天然の放射能が存在しているし、宇宙線などの放射線も
あって、完全に被曝から逃れることはできない。
土壌中ウラン や トリウム含有率高い地域もあり、そうした場所では 他の地域に
比べて 10倍以上の被曝を受けてしまうような所もある。 しかし、それは受け入れる
ほかない。ジャールカンドの州都ランチーも、そのような場所の一つである。
 一方、人間の行為が被曝を生む場合もある。ジャドゥゴダで進行していることが
それである。その上、その被曝を強制されているのが、カーストからも阻害されて
きた先住民達なのである。 ジャドゥゴダの先住民達は、土地と生活の場を奪われる
ことで 生活を破壊され、巨大な国営企業の労働者になることで 健康を破壊され、
その上、生活の場に 放射能を捨てられて被曝させられている。
 
 
                    2003.11.1「原子力資料情報室通信」No.353号
 
   インドは 2000年5月に人口が10億を超えた大国である。また、1974 年には「ブッダの微笑」
  と名づけた核実験を成功させるとともに、豊富なトリウム資源を生かすために 古くから原子力
    発電の開発に取り組んできた。日本初の原子炉(JRR-1、50kWt)が臨界になったのは1957年
    8月であるが、インド初の原子炉(Apsara、1MWt)は すでに その前年1956年8月に臨界に
    なっている。また、2003年現在 14基272万kWの原子力発電所を稼動させている。
    14基の内 2基は 米国から導入した沸騰水型炉(BWR)、2基は カナダから導入したCANDU炉
  、そして残りの10基は 独自開発の沸騰重水冷却型炉(PHWR)である。さらに ロシア型の
    加圧水型軽水炉(VVER) 2基を含め建設中、計画中で 9基の原子力発電所がある)。
      そうした核=原子力開発を支えるためのウランは、インド東部、ジャールカンド州にある3つの
    ウラン鉱山で採掘されてきた・・・。
 
   原子力(=核)利用による被曝はあちこちで生じる。Figure 5 に国連科学委員会による
  評価を示すが、過去に人類が受けた被曝のうち、およそ1/4は原子力利用の最上流である
 ウラン鉱山での汚染から生じているその上、この汚染は 半減期45億年のウランから生じて
   いるため、長期間の被曝を考える場合には、人類にとって 最大の被曝源になる。
     日本ではかって 人形峠において ウランの試掘が行われた。しかし約 10年の歳月を通して
   得られたウランは 総量でも 84 tで、採算に合わない鉱山は閉山された。その後には8万 t
   の鉱滓と45万m3の残土が残された結局、現在の日本の原子力を支えるウランは すべて
   海外から輸入されている。現在、日本の原子力発電の設備容量は 約4600万kW で、インドの
  それの約20倍である。したがって、日本の原子力開発は、ここで例示した被曝の20倍の
   被曝を海外に押し付けていることになる。・・・
 
        ※ 45万m3・・・厚さ5m×300m×300m
 
 
 
                              (未完成) 

原子力災害とは何か?

$
0
0
                                                                      チェルノブイリ - 京都大学原子炉実験所 
 
                                          今中哲二
 
 原発大事故が 日本で起きたら とんでもない事態になる と、私たち原子力安全
研究グループが警鐘をならし始めたのは、今から 四半世紀以上も前のことであった。 当初机の上の安全論争が中心であったが、1979年3月の米国スリーマイル島事故
は、大事故が 実際に起こりうることを事実で示した。 といっても、スリーマイル島事故
は、原発で起こりうる最悪の事態と比較すれば、幸運にも 極めて 小規模な被害
収まった。 1986年4月に発生した チェルノブイリ事故では、瞬時に 原子炉とその建屋
が破壊され、膨大な放射能が直接環境に放出されるという、まさに原発で生じうる
最悪の事態となった。

 

 「この大災害の被害者数の評価を最大限に減らすために、後日 専門家たちの

 国際的企(タクラ)みが行われるであろう。 この企みのためには、あらゆる国の

 イデオロギー、経済の論争を越えて、暗黙の共犯が行われよう。

 原則として どの国からも独立しているはずの 保健に関する国際諸機関は、実際

 には 大国の支配のままになっており、見かけの客観性と中立性を装いながら、

 大国介入の先兵となろう。 この事故は 大したものではなかった と彼らは結論する

 であろうが、そうなれば、いったい 今までの大騒ぎは 何だったということになる・・・

 ソ連の責任者は、キチュトム災害の時と同じように、完全沈黙を行ない、すべての

 情報の凍結を謀ることもできた筈であるとして、西側の専門家が ソ連の専門家を

 責めることも 後に起こるかも知れない。

 

  チェルノブイリ事故が発生してから 1週間も経たない 1986年5月1日に この文章を

発表したのは、フランスの物理学者 ベラ・ベルベオーク であった。

この15年間、各国行政当局や 国際原子力機関(IAEA)などが結託した“国際原子力

共同体は、ベルベオークの言葉通り、事ある毎に「チェルノブイリ事故は 原発開発史上

最悪事故であったが、周辺の人々にもたらした健康被害は大したことはなかった

という報告を繰り返してきた。

 

 

原子力共同体の見解

 

 1986年8月に ソ連政府が IAEAに提出した事故報告書は、事故の後始末は 順調

に進んでおり、破壊された4号炉は 「石棺」に封じ込められ、汚染地域の除染活動

も始められている、他の原子炉は 直に運転を再開するだろう、と述べている。

 

  その報告は、ウィーンで開かれた会議で西側専門家により承認された。その一方、

ソ連国内では チェルノブイリ事故に関する情報は 極秘扱いとされ、国外へは もちろん

汚染地住民にさえ 汚染の実態は知らされなかった。

 
 そうした状況に変化が起きたのは ペレストロイカ末期の1989年頃からである。
チェルノブイリから 200~300kmも離れた所にまで 飛び地のように高濃度の汚染地域
が広がっていることが明らかになった(表1)。 政府の責任を追及し 汚染対策を
求める運動は、ソ連国内の民主化運動と相まって、社会的・政治的問題となって
いった。 苦境にたたされた ソ連政府は、西側に助けを求めることにした。
 
  IAEAに対し、現地に調査団を派遣して、事故の影響を調査し汚染対策について
勧告してくれるよう依頼したのである。 IAEAは 西側専門家を集めて国際チェルノブイリ
プロジェクトを組織し、1年間の調査を行い その報告会が 1991年5月に開かれた。
結論は、周辺住民への健康影響は認められず、ソ連政府の汚染対策は厳し過ぎる
くらいであり、現状で十分であるというものだった。
 
      表1 被災3ヵ国のセシウム137汚染面積(単位:平方km)
国名
セシウム137の汚染レベル(キュリー/平方km
5
15
15  40
40以上
1以上合計
ロシア
48,800
5,720
2,100
300
56,920
ベラルーシ
29,900
10,200
4,200
2,200
46,500
ウクライナ
37,200
3,200
900
600
41,900
合計
115,900
19,120
7,200
3,100
145,320
 
   各国のチェルノブイリ被災者救済法に基づくと
   ・ 40Ci/km2以上: 強制避難ゾーン
   ・  15~40Ci/km2: 義務的移住ゾーン,
   ・  5~15Ci/km2: 希望すれば移住が認められるゾーン,
   ・  1~  5Ci/km2: 放射能監視が必要なゾーン.
         (今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」、技術と人間、1998)

 

 1992年9月ベラルーシの研究者らが、科学雑誌Natureに、ベラルーシで 子供の甲状腺

ガンが急増しているという論文を発表した。

西側専門家から すぐさま、増加は 見せかけのもので 事故の影響ではない、という

反論が寄せられた。 しかし、データが増えるとともに、甲状腺ガン増加の原因が

チェルノブイリ事故であることは 否定しようのないものとなった。 チェルノブイリ10周年に

あたる 1996年の会議で ようやく IAEAも、小児甲状腺ガン増加の原因は 事故の時

に放出された放射性ヨウ素による被曝であると認めるに至った。

 しかし、小児甲状腺ガン以外の健康影響は、事故処理作業者への影響を含めて

いっさい認められない、と結論している。

 

 チェルノブイリ事故で 最も大きな被曝を受けたのは、約80万人 といわれる 事故処理

作業者の集団であり、最近 彼らの間で 白血病やガン さらには循環器系などの

疾患が増加している という データが発表されている(Ivanovら、Health Physics、1998、

2000など)。 今年 6月に キエフで WHO(世界保健機構)主催の国際会議が予定

されており、そこで どのような結論が まとめられるか 注目される。

 

  「 科学的には 十分に証明されていない 」という言い方“科学的権威”の常套句

であることに留意しておきたい

周辺住民に 1件の急性障害もなかった?

 1986年のソ連報告書によると、原発職員や消防士たち約200名に 大量の被曝

よる急性放射線障害が現れたものの、周辺の住民には1件急性障害もなかった

とされている。

  その後の原子力共同体の報告書は、現在にいたるまで 基本的に その見解を

踏襲している。

 

          ※ Q2.事故から25年、住民の健康影響についてわかったこととは

                      長瀧 重信氏(ナガタキ・シゲノブ) 収録日:2011年3月28日

                 検証・25年経ったチェルノブイリ事故の健康影響の実態とは

           周辺住民の急性放射線障害      <技術と人間97年4月号>

 

 放射線防護の専門誌 Health Physicsに 1994年、避難住民被曝量に関するウクライナ

の研究者の論文が掲載された。

事故翌日の4月27日に避難した プリピャチ市住民の平均被曝量は 0.0115㏜で、

5月3日から避難をはじめた その他の避難民の平均被曝量は 0.0182㏜であった

と報告されている。急性障害は 通常 1㏜以上の被曝を受けた場合に現われると

考えられており、住民の間に 1件の急性障害もなかった という原子力共同体の

見解は、“科学的評価”によって裏付けられた。

 

 一方、ソ連崩壊直後の1992年4月、旧ソ連最高会議員だった ヤロシンスカヤ は、

チェルノブイリ事故当時のソ連共産党秘密議事録を暴露し、当時の最高権力機関に、

事故直後に 1万人を越える人々が 病院に収容されたり 子供を含む住民に急性

障害が認められると報告されていたことを明らかにしている。

秘密議事録の訳はhttp://www-j.rri.kyoto-u.ac. jp/NSRG/に順次掲載中)。

 

         暴かれたチェルノブイリ秘密議事録     <技術と人間92年9月号>

 
  図1は、昨年暮れ 私入手した資料から作成した汚染地図で、事故から1カ月余り
後の1986年6月1日における チェルノブイリ原発周辺の放射線量を示している。
私の計算では、1カ月前の 5月1日の放射線量は 6月1日の値の約10倍となる。
図1では、原発北方の ウソフ村 や クラスノエ村は 毎時 200ミリレントゲンの線にかかって
おり、5月1日には 毎時 2レントゲン前後の放射線量があったことになる。
Health Physics論文によると ウソフ村の平均被曝量は 0.118㏜である。その値は、
図1に基づくと、ウソフ村住民が 5月1日に野外に 5時間余りも立っていれば浴びて
しまう量である。 
テキスト ボックス:
     テキスト ボックス: 図1 1986年6月1日の周辺放射線量率. 単位:ミリレントゲン/時.  Kuzbovらの汚染地図(1991)に基づく.
 ウソフ村やクラスノエ村をはじめ、1週間以上も放置されていた周辺住民の間にかなり
の数の急性障害があったと 私は確信している。
 
 “科学的手法”が 事実を明らかにする有効な手段であることは確かであるが、

時として 事実を明らかにしない方便にも使えることを強調しておきたい。

 

 

村や町がなくなり地域が消滅した

 
 以前の私は、チェルノブイリ事故の被害を明らかにする作業とは、事故によって
どれくらいの放射能が放出され、人々が どのように被曝し どのような健康被害が
もたらされるかを明らかにすることだ、と考えていた。
  しかしながら、何度か チェルノブイリ現地に行き、見たり聞いたり読んだりするうちに、
そうした放射能による 直接的な被害は、事故が 人々にもたらしたものの ほんの
一部にすぎない、と考えるようになった。
 
 チェルノブイリ事故がもたらした被害として まず第1に指摘したいことは、
表1示したように、福井県、京都府、大阪府を合わせた面積に相当する1万平方km
にも及ぶ広大な土地に 人々が住めなくなったことである。
事故直後に 原発周辺30km圏から 約12万人の強制避難が行なわれ、その後
明らかになった高汚染地域からも 20万以上の人々が移住を余儀なくされた。
約500もの村や町がなくなり、40万近くの人々が 住み慣れた土地から離れて 生活
することとなった。 地域社会が 丸ごと消滅してしまったのである。
 チェルノブイリ事故という原子力災害の 何よりの特徴は、広大な範囲の地域社会
が丸ごと消滅してしまったことである
 
 事故被害明らかにする第1歩は、故郷を失くしたり 汚染地で暮らさざるを
えない人々にもたらされた不条理な厄災について考えることである。 
どれくらい被曝し どのような健康影響がもたらされるか といった “科学的評価”に
よって 被害の全体を解明することができる などと思いこんでしまう と、原子力災害
というものの捉え方を誤ってしまうであろう。  
 
 
 

 
     放射線の人体に対する健康影響   長瀧重信  平成23年7月8日 於茨城県庁舎講堂
 
 P3    意図的に論文を集めれば、正反対のことでも 「科学的に正しい」と主張できる
      ・膨大な様々な科学的な発表・論文などから意図的に選択すれば、正反対のこ
       とでも「科学的に」と表現できる。
      ・現実には個人的な主張、利害関係者団体の主張を「科学的に」という錦の衣を掛けて
      主張できる。正反対の主張が、そのまま社会に出ると、社会は混乱する。
    ・日本の現状はそのような状態であるのか、なりつつあるのか。
    ・このような混乱を避けるという社会的な要請、あるいは 必要性から、国際的合意を
   定期的に発表する(国連科学委員会、UNSCEAR)と言う習慣が確立されている。
   ・この合意が金科玉条とは思わないし、間違いがないとも言えないが、この合意に対抗
   できる研究結果を持つ、あるいは反対の論拠を持つ個人の専門家は世界のどこにもいない。
  専門家は、個人の主義主張とは別に、国際的な科学的合意を社会に説明する義務がある。
 
             P28/53  国際機関からの最初の報告IAEA 1991年
      P36/53  2006チェルノブイリ事故20周年のまとめ
         被曝者と考えられる人
           1. 原発勤務者・消防夫など 237名致死量にいたる
           2. 汚染除去作業者(1986-7) 24万人  >100mSv
           3. 強制疎開者(1986)   11万6千人  >33mSV
           4. 高線量汚染地27万人(1986-2005)  >50mSv
           5. 低線量汚染値500万人(1986-2005) 10-20mSv
         Demonstrated Health Effectsのある人
           1. 急性放射線障害の症状 134人(237人が入院)
                                3ヶ月以内に 28人死亡 その後20年間に 15人死亡
                        2. 小児甲状腺癌 約4000人以上
              そのうち死亡が確認された人 9名-15名
           3. 白血病も含め その他の疾患の増加は確認されていない
           4. 精神的な障害(subclinical)が 最大の健康影響 至急対策が必要
           5. 不確実ではあるが、事故の大きさの概略の印象のため、
           今後の死亡者数を推定すると4000人である。数十万、数万人ということはない。
 
 
               P37/53      表3 チェルノブイリ原発事故の人体に対する影響のまとめ
              2006年のIAEA、WHOなど八つの国際機関と三共和国合同の発表
              2011年2月の国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書
          急性影響(原発内)
             134人の職員ならびに消防夫は急性放射線障害を起こした。
            このうち28人は高線量の被曝により死亡した。
            このうちさらに19人が2006年までに死亡したが、死因は被曝との関係
             は認められてはいない。
          晩発影響-1(原発周辺で作業した人たち)
             24万人が汚染除去作業で、100ミリシーベルト被曝した。
             健康影響は認められない。白血病の増加も認められない。
          晩発影響―2(原発外の周辺住民)
             11万4000人が強制疎開者で 33ミリシーベルト被曝
             27万人は高線量汚染地居住で 50ミリシーベルト被曝(>555kBq/m2)
             500万人は低線量汚染地居住で10-20ミリシーベルト被曝(>37kBq/m2)
          ・放射線に起因する健康影響のエビデンスはない
          ・例外は、汚染された ミルク を規制なしに飲んでいた被曝当時子供だった人たち
            の中から6000人以上という相当な数の甲状腺癌患者が発見されている
           (2006年までの死亡者は15人)。
          ・精神的な障害(subclinical)が最大の健康影響 至急対策が必要
 
       P52/53
               具体的には
            被害を受けている住民と住民に対応する行政との信頼関係が必須
            国民に、住民に信頼されるリーダーが、
               すべての情報を開示し、
            専門家が一致して分析する情報の解釈を示す。
          その上で行政は、住民とのきめ細かい対話を繰り返し、
            住民の被害を最小にする対策を決める。
                原発賛成、反対の議論で
            被害を受けている住民を犠牲にしてはいけない
 
 
 
  最後に
 福島第一原発事故を経て、私は 再び ベラ・ベルベオークの言葉を想起する。

 

 「この大災害の被害者数の評価を最大限に減らすために、後日 専門家たちの

 国際的企(タクラ)みが行われるであろう。 この企みのためには、あらゆる国の

 イデオロギー、経済の論争を越えて、暗黙の共犯が行われよう。

 原則として どの国からも独立しているはずの 保健に関する国際諸機関は、実際

 には 大国の支配のままになっており、見かけの客観性と中立性を装いながら、

 大国介入先兵となろう。この事故は 大したものではなかった と彼らは結論する

 であろうが、そうなれば、一体 今までの大騒ぎは 何だったということになる・・・
 
 

チェルノブイリ~国際原子力共同体の危機(1)

$
0
0
 
                   (1)
 
                              ミハイル・V・マリコ
                        ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所
はじめに
 
 チェルノブイリ事故から11年たった(1997).この間,多くのデータが ベラルーシ,ロシア,
ウクライナの科学者によって明らかにされてきた. これらのデータは,チェルノブイリ事故
が原子力平和利用における最悪の事故であったことを はっきりと示している.
この事故は ベラルーシ,ロシア,ウクライナの環境に 大変厳しい被害を与え,これらの国
の経済状態を決定的に悪化させ,被災地の社会を破壊し,汚染地域住民に不安
と怖れをもたらした.そして,被災地住民 と その他の人々に 著しい生物医学的な
傷を与えた.
 
  今日,チェルノブイリ原発の核爆発が生態学的,経済的,社会的 そして心理学的に,
どのような影響を及ぼしたかについては 議論の余地がない.
一方, この事故が 人々の健康に どのような放射線影響を及ぼしたかについては,著しい評価の食い違いが存在している
 
  チェルノブイリ事故直後に,被災した旧ソ連各共和国の科学者たちは,多くの身体的な
病気の発生率が著しく増加していることを確認した.しかし“国際原子力共同体”
は,そのような影響は 全くなかったと否定し,身体的な病気全般にわたる発生率
の増加 と チェルノブイリ事故との因果関係を否定した.
そして,この増加を,純粋に 心理学的な要因やストレスによって説明しようとした
 
 “国際原子力共同体”が こうした立場に立った理由には,いくつかの政治的な
理由がある.また,従来,放射線の晩発的影響として認められていたのは,白血病
,固形ガン,先天性障害,遺伝的影響だけだったこともある.
同時に“国際原子力共同体”自身が 医学的な影響を認めた場合でも,例えば
彼らは チェルノブイリ事故によって引き起こされた甲状腺ガンや先天性障害の発生を
正しく評価できなかった.
同様に,彼らには,チェルノブイリで起きたことの 本当の理由も 的確に理解することが
できなかった.
 
 こうしたことを見れば,“国際原子力共同体”危機に直面していることが分かる.
彼らは,チェルノブイリ事故深刻さ 放射線影響を評価できなかったのであった
彼らは旧ソ連の被災者たちを救うため客観的立場をとるのでなく,事故直後から 影響を過小評価しようとしてきたソ連政府の代弁者の役を演じた.
 
 本報告では,こうした問題を取り上げて論じる.
 
 
チェルノブイリ事故原因と影響についての公的な説明
 
 チェルノブイリ原発事故は,原子力平和利用史上最悪の事故として 専門家に知られ
ている.事故は 1986年4月26日に発生した. その時,チェルノブイリ原発4号炉の
運転員は,発電所が 全所停電したときに,タービンの発電機を使って短時間だけ
電力を供給するテストを行なっていた.
  事故によって 原子炉は完全に破壊され,大量の放射能が環境に放出された.
当初,ソ連当局は 事故そのものを隠蔽してしまおうとしたが,それが不可能だった
ため,次には 事故の放射線影響を小さく見せるように動いた.
 
 事故後すぐに,国際原子力機関(IAEA) と ソ連事故検討専門家会議を ウィーン
で開くことに合意し,その会議は 1986年8月25日から29日に開かれた.その会議
で,ソ連の科学者は 事故と その放射線影響について偽りの情報を提出した.
   ソ連当局見解では,事故の主な原因は,チェルノブイリ原発の運転員が運転手順書
に違反したためだとされた.ソ連の専門家は また,チェルノブイリ事故による放射線影響
の予測も示した.その評価によれば,確定的影響 (訳注:急性の放射線障害など一定
のレベル以上の被曝で生じる障害) を被るのは,事故沈静化のために働いた原発職員
と消防隊だけであるとされた.
彼らは,住民には 確定的影響が現れる可能性はないとし,また 確率的影響(訳注:
ガンや遺伝的影響など,確率的に発生する晩発性障害) も 無視できる程度でしかない
という予測を示した.例えば,線量・効果関係に 閾値がないとした仮定に基づいて
評価しても,ガンの死亡率の増加は 自然発生ガン死に比べて,0.05%以下にしか
ならない というのが彼らの予測であった.
この結果は,ソ連のヨーロッパ地域(約7500万人)の人々についての計算であった.
 
 ソ連からの説明は 会議参加者によって 完全に受け入れられた.そのことは,
1986年9月に IAEAが発行した事故検討専門家会議の要約報告を読めば分かる.
その報告の28ページには,以下のように書かれている.
 「 前述の説明は,ソ連の専門家が提出した作業報告や情報に基づいている.
 この情報に基づく チェルノブイリ4号炉事故の経過は もっともなものとして理解できる.
 そのため,別の説明を求めるための試みは行なわなかった. 」
同じ報告の17ページには以下のようにある.
  「 誤操作 と 規則違反が,事故を引き起こした主要な要因である. 」
 
 IAEAの会議に出席した人たちは,ソ連の専門家が示した放射線影響の予測に
ついても同意した.そのことは,IAEAの事故検討専門家会議の要約書7ページに
以下のように書かれていることから分かる.
 「13万5000人の避難者の中に,今後70年間に増加するガンは,自然発生のもの
 に比べて,最大でも 0.6%しかないであろう.同じように,ソ連のヨーロッパ地域の
 人口についていうならば,この値は 0.15%を超えないものとなるし,恐らくは
 もっと低く,0.03%程度の増加にしかならないであろう.甲状腺ガンによる死亡率
 の増加は 1%程度になるかもしれない. 」
 
 国際原子力共同体こうしたものの見方,今日に至るまで変っていない
事故検討専門家会議が,チェルノブイリ事故原因と放射線影響について もっともらしい
説明をし,それが 国際原子力共同体によって受け入れられてきた.
 
  しかし,これらの説明は誤っており 正しくない.今日では,事故の本当の原因は,
ウィーンでの事故後検討会議で述べられたような運転員の誤操作ではなく,RBMK型
原子炉(訳注:「チャンネル管式大出力原子炉」という ロシア語の略.チェルノブイリ原発では,この型
の原子炉が4基稼働していた)原子炉そのものが持つ欠陥にあることが知られている.
最も重要な欠陥は,
  • 大きな正のボイド係数
  • 低出力における不安定性
  • 出力暴走の可能性
  • 不適切な制御棒(制御棒の下端に黒鉛でできた水排除棒がつながれていた
である.
 
 IAEAが チェルノブイリ事故の本当の原因について 正しい説明にたどり着くまで,
ウィーンでの事故後検討会議から 何と7年もかかったことに注意しておこう.
 そこで疑問が起こる. ウィーンの会議で,ソ連の専門家たちは,RBMK型原発の
安全性を向上させるための改善策を練っていることを語った.即ち,燃料濃縮度を
2.0%から 2.4%に引き上げること,炉心に挿入する制御棒の数を増やすこと
である (これら2つの方策は,事故の主要な原因の一つであった RBMK型原発が持つ正の
ボイド係数問題を改善するために導入されたものである). 西側諸国の専門家たちは,
こうしたことを知った後で,なぜ チェルノブイリ事故原因についての 別の説明を探して
みようとしなかったのであろうか? より迅速に作動する炉停止系と,その他の幾つ
かのシステムを採用するという改善策もまた知られていたのである.
 
 ウィーンでの事故検討専門家会議の参加者たちが,どうして 事故の本当の原因を
理解できなかったのか? これについては,2つの解釈の仕方がある
第1の解釈,この会議に参加した専門家には,RBMK型原子炉特性本当に
理解できなかったというものである.
第2の解釈,原子力の イメージを守るために,ソ連の公式見解に疑いをさし挟み
たくなかったというものである.
 第1の解釈は およそ信じがたい.なぜなら,ウィーンの事故検討専門家会議ソ連
専門家示した,RBMK型原子炉の核的安全性を改善するための方策の全て
が,この型の原子炉の設計に欠陥があることを はっきりと示していたのである.
  2番目の解釈の方が より当たっているように思えるし,もし そうだとするならば,
原子力安全の場にいる専門家たちは 原子力平和利用がもつ 真の危険性を隠蔽
するつもりだ ということになり,いっそう 不愉快なものである.
 
 IAEAが 文献3を公表したことにより,チェルノブイリ事故原因についての誤った説明
実質的行なわれなくなった.しかしながら,事故による放射線影響については,
いまだに異なった立場が存在している.
実際,今日に至ってもなお,国際原子力共同体は,チェルノブイリ事故の放射線影響
ほぼ無視できると主張している.1995年になって ようやく,彼らはベラルーシ,ロシア
,ウクライナでの甲状腺ガンの多発と放射線被曝との関連を認めた
しかし,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの専門家たちが見いだした その他全て影響
については,完璧に否定している
 
 例えば,ベラルーシの被災地における先天的障害発生についての G・ラジューク教授
たちの データを,国際原子力共同体は認めていない. 同じように,ベラルーシ,ロシア,
ウクライナで 事故直後に確認された,様々な身体的な病気の発生率が はっきりと
増加したという 貴重な統計学的 データについても認めようとしない.
 ソ連の専門家は,チェルノブイリ事故の放射線影響は 観察することさえできないもの
とし,それが ウィーンの事故検討専門家会議で受け入れられた.そして,チェルノブイリ
事故による放射線影響に関するかぎり,国際原子力共同体は 未だに その考え方
を支持し続けている.
 
 こうした国際原子力共同体の立場は,事故直後からチェルノブイリ事故放射線影響
を過小評価しようとしてきた ソ連当局にとって,大変重要なものである.
事故当時,ソ連は 大変 困難な経済危機に陥っていたため,ベラルーシ,ロシア,ウクライナ
被災者たちに 必要な援助をすることができなかった.ソ連にできたことは,被災者
に対するごく限られた援助だけであった.そのため,旧ソ連の時代には,チェルノブイリ
事故 と その影響に関する すべての情報は秘密にされた.それも 大衆に対して
だけでなく,多くの場合,放射線防護の専門家に対してさえ 秘密にされたのであった
 
 例えば,1986年の事故検討専門家会議に提出されたソ連の専門家によるデータは,
ソ連国内では長い間,秘密であった.ソ連国内汚染地域とられていた防護処置
についての文書も また秘密にされていた.
 
 
チェルノブイリ事故被災者の医学的影響
 
「350ミリシーベルト概念」
  いわゆる 350m㏜概念,すなわち,被災者の被曝限度を 一生の間に 350m㏜と
定めた主理由は,おそらくソ連複雑経済状況であった.この概念1988年
に ソ連放射線防護委員会(NCRP)によって作られた.
  この350m㏜概念は,以下の仮定に基づいている.
 
  ・ソ連国内汚染地の大多数の住民にとって,外部被曝と内部被曝を合わせた,
   チェルノブイリ事故による個人被曝は,1986年4月26日を起点とする70年間に
   350m㏜を超えない.
  ・汚染地域で生活する人の全生涯に,事故によって上乗せされる被曝量が
   350m㏜程度それ以下であれば,住民への医学的影響は問題にならない.
 
こうした仮定により,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの全チェルノブイリ被災地において,移住を
含めた 何らの防護措置も実質的に行なう必要がなくなった.
この350m㏜概念は,1990年1月から実施されるはずであった.その実施によって,
事故後汚染地でとられてきた すべての規制は解除されることになっていた.
 
 350m㏜概念は,1986年夏ソ連専門家が行なった医学影響予測に基づいて
いる.また,1988年末 イリイン教授の監督のもとで行なわれた改訂版の評価にも
基づいている.その新しい評価は,昔のものと 非常によく一致していた.
 しかし,古い評価と同様,新しい評価も正しくない.そのことは,甲状腺ガン評価
から はっきりと見て取れる.新しい評価によれば,チェルノブイリ事故によってベラルーシ
の子供たちに引き起こされる甲状腺ガンは,わずか 39件とされている.そして,
その症例は 5年の潜伏期の後,30年かけて現れるはずであった.
つまり,ベラルーシの子供たちに はじめて甲状腺ガンが増えてくるのは,1991年に
なってのことだ と予測されていた.
 
 イリイン教授らの予測は 完全に誤りであった.そのことは,表1に示すベラルーシに
おける甲状腺ガン発生件数の データをみれば分かる.チェルノブイリ事故前9年間(1977
-1985) においては,ベラルーシで登録された小児甲状腺ガンは わずか7例であった.
つまり,ベラルーシにおける自然発生の小児甲状腺ガンは,1年に 1件だということ
である.ところが,1986年から 1990年の間に,47例の甲状腺ガンが確認され,
それは イリインらによる予測に比べれば 9倍以上に達する.
         
表1 ベラルーシにおける甲状腺ガン発生数
(大人と子供)
事故前
事故後
大人
子供
大人
子供
1977
121
2
1986
162
2
1978
97
2
1987
202
4
1979
101
0
1988
207
5
1980
127
0
1989
226
7
1981
132
1
1990
289
29
1982
131
1
1991
340
59
1983
136
0
1992
416
66
1984
139
0
1993
512
79
1985
148
1
1994
553
82
合計
1131
7
合計
2907
333
 
 
 チェルノブイリ事故後最初の10年,つまり 1986年から 1995年の間にベラルーシで確認
された甲状腺ガンの総数は,424件であった.この値は,事故後35年の間に 全部
で 39件の小児甲状腺ガンしか生じないという イリインらの予測に比べ,すでに 10倍
を超えている.予測と実際を比べてみれば,チェルノブイリ事故による小児甲状腺ガン
の発生について,ソ連の専門家の予測は 大変 大きな過小評価をしていたことが
分かる.
 
  同じことは,旧ソ連の汚染地域における先天性障害に関してもいえるであろう.
ソ連の専門家の評価は,それが見つかる可能性すら 実際上否定していた.その
結論の誤りが,ラジューク教授らによって示されたのであった.
 
  上述した事実は,チェルノブイリ事故による放射線影響に関して ソ連の専門家が
行なった評価が,著しい過小評価であることを はっきりと示している.そのことは,
ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域において,事故直後から被災者の間に健康状態
の顕著な悪化を確認してきた 多くの科学者たちにとっては,自明のことであった.
 
 ところが,ソ連当局と国際原子力共同体は,彼らの評価結果 と 350m㏜概念が
正しいと考えていた.国際原子力共同体が,チェルノブイリ事故の放射線影響に関する
ソ連の新しい評価 や 350m㏜概念の意味するものを十分に承知していることに
注意しておかねばならない.
  ソ連医学アカデミーの会議の後,イリイン教授らの報告は,世界保健機構(WHO)に
提出され,後日 それは,有名な国際雑誌に 科学論文として掲載された.
 350m㏜概念についても同様である.その350m㏜概念に関する報告は,1989年
5月11-12日に ウィーンで開かれた国連放射線影響科学委員会第38回会議において,
イリイン教授によって提出された.
この概念は,国際原子力機関(IAEA)事務局が 1989年5月12日に開いたチェルノブイリ
事故影響に関する非公式会議にも提出された.
 
 このソ連の新しい評価は,国際原子力共同体専門家からは 何らの批判も受け
なかった.そのことは,イリイン教授らの論文の内容が,もとの報告と大きく変わって
いなかったことからも分かるし,ソ連政府に 350m㏜概念を実施させるために国際
原子力共同体が多大な手助けをしたことからも分かる.
 
 
                        (つづく)
 

チェルノブイリ~国際原子力共同体の危機(2)

$
0
0
(1) のつづき
                   (2
 
                              ミハイル・V・マリコ
                        ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所
 
 
世界保健機構(WHO)の専門家
 
 WHOによる支援は,1989年6月に WHO専門家グループが ソ連を訪問したことで
示された.この訪問は ソ連政府の要請で行なわれた.このWHOの専門家グループ
に加わったのは,以下のメンバーである.
D・ベニンソン博士ICRP委員長,アルゼンチン原子力委員会許認可部長),P・ペルラン教授フランス
保健省放射線防護局長,ICRP委員),P・J・ワイト博士WHO環境健康部所属の放射線学者).
 
 WHOの専門家たちは,モスクワでのソ連国家放射線防護委員会の会議に出席し,
350m㏜概念の原則と実施方法について議論に加わった.彼らは,ソ連の汚染
された各共和国の専門家や,汚染地の住民とも会合を持ち 議論した.
ミンスクでは,ベラルーシ科学アカデミーが開いた チェルノブイリ問題の特別会議に出席した.
L・イリイン教授,L・ブルダコフ教授,A・グスコワ教授などソ連保健省の著名な学者たちも,
それらの会議に出席した.
 
  これら すべての会議や議論において,WHO専門家は,チェルノブイリ事故が被災者
に 有意な健康被害を引き起こさない という ソ連の公式見解を完全に支持した.
彼らは,350m㏜概念に賛成しただけでなく,もし 一生の間の被曝量限度を設定
するよう求められれば,350m㏜ではなく,その 2倍か 3倍高い被曝量を選ぶだろう
と,自分から発言しさえしたのであった.
 
 ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域では,事故直後に 様々な病気の発生率増加
がみられたが,WHOの専門家たちは,それと 放射線の間には 何らの因果関係も
ないと主張した.この点について,彼らは ソ連政府への報告書の中で 次のように
述べている.
 
  放射線障害に詳しい知識を持たない科学者たちが,様々な生物学的な効果
 や健康上の現象を 放射線被曝と関連づけた.これらの変化が 放射線と関連
 することはあり得ず,心理的要因 や ストレスによるものであろう.
 そうした効果を放射線に関連させたことは,人々の心理的圧力を増加させただけ
 だったし,さらに ストレス関連の病気を引き起こした.そして,放射線専門家の能力
 に対する 大衆の信頼を 徐々に損ねたのであった.次に,それは 提案されている
 規制値に対しての疑いにつながった.
  大衆 や 関連する分野の科学者たちが,住民を守るための提案を適切に理解
 できるようにして,この不信感を乗り越えねばならないし,そのための教育制度
 の導入が早急に検討されるべきである.
 
 ソ連当局は,チェルノブイリ事故規模 と その放射線影響を 何としても小さく見せたい
としてきたが,報告から引用した上の文章は,WHOの専門家が そうしたソ連当局
を擁護する役割を演じていることを はっきりと示している.
 
 
 1990年1月,赤十字特別使節団,ベラルーシ,ロシア,ウクライナ汚染地域を訪れ
た.この使節団は,英国,スウェーデン,オランダ,西ドイツ,日本の,それぞれ異なった
医学分野の有能な専門家 6人で構成されていた.
  赤十字と赤新月使節団の専門家たちは,汚染地域の放射線状況を WHOの
専門家よりは 注意深く評価した. しかし,彼らにしても また チェルノブイリ事故被災者
の健康状態を悪化させている 本当の原因を理解することはできなかった.
  汚染地から戻った後,彼らは報告を書いたが,その要約には 次のように 結論
されている.
 
 「 報告されている健康問題は,大衆 や 一部の医者によって 放射線による影響
 と受け止められているが,その多くは 放射線とは関係ないと思われる.大衆の
 健康診断改善されたこと,生活パターン食生活変化というような要因について
 これまで あまり 注意払われてこなかった.特に,心理的なストレス や不安といった
 ものが,これらは 現在の状況では理解できるが,様々な形で 身体的な症状を
 引き起こし,健康に影響を及ぼしている.
 
 それでも 赤十字と赤新月使節団は ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域が深刻な
状態にあることを理解した.場合によっては,住民の移住が 対策の一つとして認め
うる という 正しい結論に,彼らは達している.
このことを考慮して,住民の移住の指標には 単に 放射線の被曝量だけでなく,
被災地域住民社会・経済的状態考慮しなければならない彼らは指摘して
いる.ソ連当局は,被曝を避ける手段として,移住を用いないように あらゆる試みを
してきたのであり,上の結論は 大変重要なものである.
 
 
国際チェルノブイリプロジェクト
 
 1990IAEA後援の下,国際チェルノブイリプロジェクト 行なわれた.このプロジェクト
は 1989年10月に ソ連政府が送った手紙に基づいて始められた. その手紙は,
チェルノブイリ事故後,ソ連がとってきた対策や将来における防護対策について 評価
してくれるように IAEAに求めたものであった.
  この評価に基づいて得られた結論は,1991年に特別報告として公表された.
チェルノブイリ事故の生物医学的影響について,その報告は以下のように述べている.
 
 「 調査を行なった汚染地域 と その対照地域の両方の住民に,放射線以外の
 原因による健康上の障害がみられたが,放射線と直接に関係がある障害は
 みられなかった.事故に関連する不安が 高レベルで継続し,心配やストレスといった
 形で 多大な負の心理的影響を及ぼした. それは,汚染地域の境界を超えて
 広がっている.こうした現象,ソ連社会経済的政治的変化とも関連している.
 調査した公式データによれば,白血病ガン発生率著しい増加を示していない.
 ただ,幾つかのガンについては,それが増加している可能性を排除できるほど
 詳しいデータが整っていない.報告されている子供の甲状腺に対する吸収被曝線量
 の評価値によれば,将来,甲状腺ガンの発生が有意に増加するかもしれない.
  プロジェクトが評価した被曝量と,今日受け入れられている放射線のリスク係数に
 基づけば,どんなに 大規模で詳細な疫学研究を長期間行なっても,自然発生の
 ガンや遺伝的影響と区別できるような増加は 将来も観察できないであろう.
 
 国際チェルノブイリプロジェクトの参加者たちは,1986年8月に ウィーンの事故後検討会議
に提出された ソ連政府の公式予測,或は文献の結論を繰り返しているのだという
ことが,この要約から分かる.
国際チェルノブイリプロジェクトによる報告書では,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの科学者たちが
汚染地域で見いだしてきた 病気全般にわたる発病率増加について,次のように
結論している.
 
  放射線によるとされた健康被害は,適切に実施された地域調査,及び プロジェクト
 による調査の いずれによっても,証拠づけられなかった.
 これまで汚染地域で行なわれきた健康調査は,多くの場合 不適切で混乱を引き
 起こしたし,時には 全く矛盾していた.このような失敗の原因には 以下のような
 ものがある.整備された機器物資不足,不十分な記録 或は 科学文献の利用
 ができないことによる 情報の欠如,訓練された専門家の不足などである.
 
 こうした声明にしたがえば,チェルノブイリ事故による放射線生物学的な影響は,
大したものでなかった ことになってしまう.しかしながら,そのような結論は 誤りで
あり,国際チェルノブイリプロジェクトの数年後には それが証明された.
 
 しからば,国際チェルノブイリプロジェクト に参加した専門家が チェルノブイリ事故の放射線
影響を評価するに当たって,どうして こんなにも 楽観的でいられたのか疑問が
わいてくる.この疑問は,プロジェクトの参加者の ほぼ全員が,彼らの楽観的な
評価に反する証拠を示した文献を持っていたことを考えれば,より一層 正当な
疑問となる.
 
 ベラルーシの保健大臣は,IAEA事務局が 1989年 ウィーンで開いた非公式会議に,
報告を提出していたが,国際チェルノブイリプロジェクトに参加していた 国際的な専門家
たちは その報告を知っていた.ベラルーシの大臣は,小児甲状腺ガンの発生率が,
特に ゴメリ州の高汚染地域において,有意に上昇していると報告していた.
彼は また,新生児の先天性異常発生率が上昇していることについても,会議の
参加者に以下のように報告した.
 
  「 放射能汚染地域における先天的な発達障害(厳密な診断記録に基づく)を持った
 子供の出生率は,ここ数年,共和国の その他の地域(グロードゥノ州はのぞく)に
  比べて,有意に 大きな上昇率で増加してきた.ベラルーシ全体についての この指標
  は、(出生1000件当り) 5.65件であるが,汚染地域では 6.89件となっている.
 
 被災地住民健康状態一般的悪化している ことについて,大臣次のように
述べている.
 大人については,糖尿病,慢性気管支炎,虚血性心疾患,神経系統病気,
 胃潰瘍,慢性呼吸器系病気などで苦しむ人が,1988年には,それ以前に比べ
 2倍から 4倍に増加した. また,種々の機能失調,神経衰弱,貧血,扁桃腺や
 耳鼻咽喉系の慢性疾患などを持った子供たちの割合が著しく増加した.
 同時に,あらゆる分野の医師たちが,多くの病気で 病状が重くなり 症状が長期化
 すること,複雑な病気の頻度が増えていることを指摘している.
 
 ベラルーシの大臣が提出した報告は 公式のものであるにもかかわらず,国際チェル
ブイリプロジェクトは それを完全に無視してしまい 考慮しなかった.この無視の理由
を,国際原子力共同体は 次のように説明している.
 即ち,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域で働いている専門家は 能力が低く
これらの地域や非汚染地域での罹病率についての信頼できる データがないという
のである.
 
 少なくとも ベラルーシに関するかぎり,そのような説明は正しくない.
例えば,ベラルーシでは,厳密な診断に基づく先天的障害調査1982年から行なわ
れてきた. ベラルーシでは,手足の欠損,脊椎披裂,多指症のような先天性障害が
認められた場合には,国家登録への届け出が義務づけられている.そのため,
先天的障害についての信頼できる統計データが 蓄積されてきたのである.
 
 
ベラルーシの子供たちの甲状腺ガン
 
 ベラルーシの専門家が 高度な専門的能力を持っていることは,小児甲状腺ガンの
症例についても証明された. 
 1992年9月,ベラルーシ専門家グループ,ベラルーシにおける小児甲状腺ガンデータ
を科学雑誌ネイチャーに発表した後,他国の専門家たちは あれこれと疑問を呈した
 文献では,ベラルーシにおいて小児甲状腺ガンが著しく増加した原因は,チェルノブイリ
事故後,健康調査方法が改善されたせいだとされた.
 WHOの専門家たちは,もっと奇妙な 2つの仮説を示した.
1つ目仮説次のようなものである.被災地では,放射性ヨウ素が減衰して なく
なってしまった後,風土病である甲状腺腫の予防のために子供たちに安定ヨウ素剤
が投与されたが,それが 小児甲状腺ガンの発生率を増加させた原因でありうる
というものである.
2番目仮説は,ベラルーシにおける小児甲状腺ガンの増加は,化学肥料と殺虫剤
高度に汚染された中央アジアからベラルーシに持ち込まれた果物野菜中化学物質
(硝酸塩など)が原因だというものである.
 
 これらの仮定が誤りであることは明白である.ベラルーシ,特に ゴメリ州やブレスト州に
おいては,土壌中に安定ヨウ素が欠乏しているため,チェルノブイリ事故の ずっと以前
から安定ヨウ素剤が使われてきた. それでも,チェルノブイリ事故以前には甲状腺ガン
の増加など ベラルーシでは観察されていなかった.
一方,ソ連中央アジアからの果物や野菜量は,ベラルーシ多くの子供たちに行き渡る
ほど大量のものではなかった.
 
 ネイチャー誌の論文が出た時点では,ウクライナでは 甲状腺ガンの増加が ほんの
わずかしか見られていなかったし,ロシアにおいては 全く見られていなかった.
そのため,WHOの専門家たちは,彼らの仮説が正しいと信じた.
こうした ベラルーシ,ウクライナ,ロシアの間での甲状腺ガン発生率の差は,実際には
別の原因があった.甲状腺に受けた被曝量は,ベラルーシの子供たちが 最も大きく,
ロシアの子供たちが 最も小さいことが知られている. このことが,被災した旧ソ連
各共和国において,甲状腺ガンの潜伏期の差を生んだのである
 
 一部の専門家は,ベラルーシで見られた小児甲状腺ガンの増加が放射線による
ものでないとして,その潜伏期が著しく短いことを その理由にあげている.
そうした専門家は,潜伏期の長さが 被曝した人の数に 大きく依存するということを
理解していない.
この大変重要な考え方は,チェルノブイリ事故はるか前に,放射線医学における有名
な学者である J・ゴフマン教授によって提唱された.ベラルーシの専門家たちは,この
ゴフマン教授考え方が正しいことを 甲状腺ガンを例にして証明したのであり,放射線
の影響についての研究で価値のある仕事となったのである.
1993-95年になって,ベラルーシの専門家たちのデータが正しいことが確認された
 
 
                        (つづく)

チェルノブイリ~国際原子力共同体の危機(3)

$
0
0
(2) のつづき
 
                   (3
 
                              ミハイル・V・マリコ
                        ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所
 
被災地における健康統計
 
 ベラルーシの専門家が成し遂げた もう1つの重要な仕事は,被災地住民の間に
一般的な病気が有意に増加していることを見つけたことである.
多くの専門家は,一般的な病気が増加していることを疑っている. そのような疑い
が 厳密な根拠をもっていないことは,本報告の表2,3に示した データが はっきり
と示している.
 これらのデータは,ブレスト州汚染地域 と その対照地域住民について,P・シドロフスキー
博士が行なってきた疫学研究の結果である.
 
  表2 ブレスト州の汚染地域(3地区)と対照地域(5地区)の罹病率,大人・青年,1990年

疾病名
罹病率(10万人当り)
P
汚染3地区
対照5地区
合計
62,023 113.48
48,479 117.9
0.99
感染症と寄生虫症
3,251 41.5
2,119.8 34.0
0.99
内分泌系,栄養・代謝疾患,免疫障害
内:(甲状腺腫を伴うor伴わない)甲状腺中毒症
2,340.6 35.4
74.4 6.4
1,506.7 28.7
29.5 4.0
0.99
0.99
精神障害
2,936.0 39.5
2,604.0 37,6
0.99
慢性耳炎
249.9 11.7
166.3 9.6
0.99
循環器系の疾患
内: 高血圧
虚血性心疾患
12,060.7 76.2
3,318.2 41.9
5,307.3 52.42
9,300.4 68.5
2,394 36.1
4,366.5 48.2
0.99
0.99
0.99
虚血性心疾患の内: 急性心筋梗塞
  その他の急性及び亜急性型の虚血性心疾患
  狭心症
53.6 5.4
44.3
1,328.6 26.8
41.7 4.8
17.2
594.5 18.1
0.99
0.99
0.99
脳血管系の疾患
  内: アテローム性動脈硬化症
1,981.4 32.6
1,764.4 30.8
1,363.2 27.3
986.7 23.3
0.99
0.99
呼吸器系の疾患
  内:扁桃とアデノイドの慢性疾患
     慢性及び詳細不明の気管支炎,肺気腫
     化膿性及びその他の慢性肺疾患
 
597.0 18.0
1.891.2 31.8
182.1 9.7
 
278.1 12.4
1,359.3 27.3
152.9 9.2
 
0.99
0.99
0.99
消化器系の疾患
  内:胃潰瘍,十二指腸潰瘍
     慢性胃炎(萎縮性)
     (胆石を伴わない)胆のう炎
7,074.4 59.9
1,895.0 31.8
1,468.6 28.1
1,147.1 24.9
5,108.5 51.9
1,225.7 25.9
765.3 20.5
658.5 19.1
0.99
0.99
0.99
0.99
泌尿器系の疾患
  内:腎炎,ネフローゼ症候群,ネフローゼ
    腎臓の感染症
3,415.6 42.5
131.8 8.5
649.5 18.8
1,995.6 33.0
67.9 6.1
522.2 17.0
0.99
0.99
0.99
女性不妊症
83.7 2.3
56.2 5.5
0.99
皮膚・皮下組織の疾患
  内:接触皮膚炎及びその他の湿疹
3,376.7 42.2
735.4 20.0
2,060.0 35.5
350.4 13.9
0.99
0.99
筋骨格系・結合組織の疾患
  内:変成関節症及び類似症
5,399.1 52.96
1,170.0 25.1
4,191.9 47.3
770.3 20.6
0.99
0.99
医薬品と非医薬用の生物学的製剤による中毒
135.6 3.8
28.9 4.1
0.99
 
 
  表3 ブレスト州の汚染地域(3地区)と対照地域(5地区)の罹病率,子供,1990年

疾病名
罹病率(10万人当り)
P
汚染3地区
対照5地区
合計
68,725 188.5
59,974 203.3
0.99
感染症と寄生虫症
7,096.5 104.4
4,010.1 80.6
0.99
内分泌系,栄養・代謝疾患
1,752.1 53.3
1,389.5 48.1
0.99
精神障害
2,219.8 59.9
1,109.6 43,0
0.99
神経系と感覚器の疾患
4,783.5 86.8
3,173.7 72.0
0.99
慢性関節リウマチ
125.6 14,4
87.7 12,2
0.95
慢性の喉頭炎,鼻咽頭炎,副鼻腔炎
117.4 13.9
82.6 11.8
0.95
消化器系の疾患
  内:慢性の萎縮性胃炎
    (胆石を伴わない)胆のう炎
3,350.4 73.2
128.9 14.6
208.3 18.5
2,355.8 62.3
40.5 8.3
60.7 10.1
0.99
0.99
0.99
アトピー性皮膚炎
1,011.6 40.7
672.8 33.6
0.99
筋骨格系・結合組織の疾患
737.2 34.8
492.4 28.7
0.99
先天性障害
  内:心臓と循環器の先天性障害
679.3 33.4
305.8 22.4
482.3 28.4
242.8 20.2
0.99
0.95
医薬品と非医薬用の生物学的製剤による中毒
4.383.7 83.7
52.3 9.4
0.99
 
 
 ブレスト州の汚染地域 と 非汚染地域の間では,大人の場合も 子供の場合も,
多くの病気の発生率が有意に異なっていることが,表2,3から分かる.
大人場合,感染症寄生虫症,内分泌系,消化不良,代謝系免疫系の異常,
心理的不調,循環器系,脳血管系,呼吸器系,消化器系病気などに,このような
差異が見られる(表2).
子供場合には,感染症寄生虫症,内分泌系,心理的不調,神経系,感覚器官,消化器系病気などで,有意な差が見られている(表3).
 
 P・シドロフスキー博士は,彼の研究において,汚染地域,非汚染地域とも 多人数の
調査をしており,彼の結果には信頼性がある.
 汚染地域で調査対象とした住民は,ブレスト州のルニネツ,ストーリン,ピンスク各地区の
全住民であった. これらの地域に居住している住民の数は,1990年において
約18万2900人である.セシウム137による平均汚染密度は,37~185k㏃/m2(1~5Ci/km2)である.
P・シドロフスキー博士は,対照集団として,ブレスト州 カメネッツ,ブレスト,マロリタ,ザブリンカ,
プルザニ 各地区の総数 17万9800人に及ぶ住民を用いた.
 
 ベラルーシの科学者P・シドロフスキー博士による,こうした新しい発見は,その後,CIS
独立国家共同体多く専門家によって確かめられた.1993年2月,ベラルーシ保健省
の公的な雑誌「ベラルーシ保健衛生」,ウクライナ疫学者による調査結果掲載された.
 1986年に 30km ゾーン から避難させられた 6万1066人の住民について,病気の
発生率が調査された.その結果,ウクライナの疫学者たちは,P・シドロフスキー博士データ
と同様な結果を それらの人々の中に見いだした.
 
  また,ベラルーシ と ロシアの リクビダートル(事故処理作業従事者)にも,ほぼ同じ結果が
見いだされた. リクビダートルの発病率は,時の経過とともに 一般公衆より大きくなる
ことが信頼できる データとして示された.そして,同様の傾向は 他の全てのカテゴリー
(分類)の被災者についても見いだされている.
 
 表4は,本報告の筆者が 国家登録のデータに基づいて作成したものであるが,
上記の事実を はっきりと示している. 表4の解析は,被曝量 或は表面汚染密度と,
被災者の罹病率との間に 明確な相関があることを示している.
ベラルーシ国民全体と比べ,罹病率が 最も大きいのは,リクビダートル と 1986年に
30kmゾーンから強制避難させられた住民であり,最も小さいのは,セシウム137の
汚染密度が 555kBq/km2(15Ci/km2)以下の被災地住民である。
 
     表4 ベラルーシの大人・青年の罹病率(10万人当り)
疾病
ベラルーシ
第1
グループ
第2
グループ
第3
グループ
第4
グループ
内分泌系,栄養・
代謝疾患,免疫障害
1993
1994
1995
631
668
584
2559
2862
3427
2528
2169
2368
1472
1636
1272
762
909
723
血液と造血組織
の疾患
1993
1994
1995
62
91
74
322
339
304
293
283
279
292
254
175
132
114
101
精神障害
1993
1994
1995
1014
1099
1125
1460
2439
3252
861
1253
2317
1416
1579
1326
930
1194
1115
神経系と感覚器
の疾患
 
 
 
内: 白内障
1993
1994
1995
 
1993
1994
1995
3939
4185
4120
 
136
146
147
5927
7250
8604
 
301
420
463
4880
4719
5812
 
355
425
443
4369
4789
3864
 
226
366
321
5270
5363
4769
 
190
196
194
循環器系の疾患
1993
1994
1995
1626
1646
1630
4956
5975
7242
4969
5852
6293
3215
4827
4860
1732
1702
1524
消化器系の疾患
1993
1994
1995
1938
1889
1817
5728
6411
7784
2653
3607
4216
3943
3942
3298
2170
2015
2283
筋骨格系・結合組織の疾患
1993
1994
1995
3148
3474
3720
4447
7095
8860
3611
4152
4419
4236
4404
5166

チェルノブイリ~国際原子力共同体の危機(4)

$
0
0
(3) のつづき
 
                   (4
 
                              ミハイル・V・マリコ
                        ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所
 
 
日本のデータとの比較
 
 ここで,大変興味深い事実に触れておく.
チェルノブイリ事故被災住民に 一般的な病気の発生率が有意に増加していること
対して疑問を呈する専門家たちは,そのような影響が 1945年8月の広島・長崎
原爆被爆者の中には見られていないと,大変 しばしば述べている
 
 しかしながら,それは正しくないそのことは,阪南中央病院(大阪府専門家
よって示されている.彼らは,1985年から 90年にかけて,1232人の原爆被爆者
調べた. その結果,「 腰痛は 3.6倍,高血圧は 1.7倍,目の病気は 5倍,神経痛
と筋肉リウマチは 4.7倍に増えており,胃痛・胃炎などでも 同じ傾向である.
 日本の専門家の データを 図1に示す.著者らによれば,日本の厚生省の「国民
保健統計」には,歯の病気,頭痛,関節炎,体力低下,頸部脊椎炎が含まれて
いなかったとのことで, 図1には 一般公衆については そうした病気の データが
示されていない.
        ⋆ 戦後、民主主義国家たる経済大国日本は、
          広島・長崎の原爆罹災を 「なかったことに」 して築かれてきたのである!
 
  チェルノブイリ事故被災者と,広島・長崎被爆生存者との間に見られる データの一致
は,ベラルーシ,ロシア,ウクライナ における 一般的病気の発生率の増加が,単に心理的
な要因によるものではなく,事故によって引き起こされたとの仮説を強く支持する
ものとなっている.
このことは,チェルノブイリ事故による すべてのカテゴリーの被災者で 一般的な病気
の発生率が増加している という現象に関し,現段階では,国際原子力共同体に
よって しばしば表明されてきた疑問のすべてが 客観的な根拠をもっていないこと
を示している.
 
            図1 日本の原爆被爆生存者 と 一般住民の罹病率と比較(%)
 
 
チェルノブイリ事故後10年
 
 1996年4月8-12日,オーストリア のウィーンで
チェルノブイリ事故後10年:事故影響のまとめ 」と題した国際会議が開かれた.
その会議には,リクビダートル や チェルノブイリ事故のため 放射線に被曝した大人や
子供に現れた 種々の身体的な影響に関する 約20編の学術論文が提出された.
 この会議は,ヨーロッパ委員会(EC),国際原子力機関(IAEA),世界保健機構(WHO
が主催し,国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR),その他の国連機関,経済
協力開発機構・原子力機関(OECD/NEA)などが 後援して開かれたものである.
  チェルノブイリ事故 と その放射線影響を評価する上で もっとも重要なステップとなる
この会議は,原子力平和利用にかかわってきた実質的に すべての国際的な組織
によって準備されたのであった.
 
 しかしながら,原子力平和利用史上 最悪の事故の客観的分析を行なうという使命
を,この会議は果たせなかった.そうした結論は,この会議の要約である以下に
示す声明を読めば分かる.
 
 「被曝住民 及び 特に リクビダートルの中に,ガン以外の一般的な病気の頻度が
 増加していると報告されている.しかし,被災住民は 一般の人々に比べて,
 はるかに頻繁で 丁寧な健康管理に基づく追跡調査を受けており,上記の報告に
 意味を見いだすことはできない.そうした影響のどれかが 仮に本当であったと
 しても,それは ストレスや心配から引き起こされた可能性もある
 
 要約は 会議の最も重要な文書であり,それを作った 「チェルノブイリ事故後10年:
事故影響のまとめ」会議の主催者らは,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災地で一般的
な病気が増加しているという 事実そのものさえ 疑っていることが,上の引用から
分かる.
 
 チェルノブイリ事故時よる すべての カテゴリーの被災者について,病気の増加を示す
数多くの学術論文が 会議に提出されていたにもかかわらず,上のような結論が
引き出されたことは,大変奇妙なことである.
  この会議の基礎報告書の著者は,被災地住民の間に 一般的な病気の発生率が
増加していることを認め,その増加を心理的な要因や ストレスによって説明している.
 
 チェルノブイリ事故の結果,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災地において先天的な障害
頻度が増加していることについて,信頼できる データが存在しているにもかかわらず
,会議は その可能性を退けた.
この会議は,チェルノブイリ事故の影響は 無視できるとする 国際原子力共同体の結論
を実質的に変更するものとはならなかった.唯一の例外は,甲状腺ガン発生率が
著しく増加していることが認められたことであった. おそらく,この件については
真実を否定する いかなる こじつけも もはや見いだせなかったからであろう
 
 国際原子力共同体にとっては,被曝影響から人々を守ることよりも,原子力産業
のイメージを守ることの方が 大切なことのようである国際原子力共同体が
チェルノブイリ事故の影響は 無視できる程度だ という 彼らの見解を守るために,
信頼できる情報を拒否しようとするのであれば,冷静な専門家は それを 彼ら
の危機として 認めるであろう.
 
 
 上に述べた国際原子力共同体の態度が どうして生じたかを,「常設人民法廷」
の場において,放射線医学の分野における著名な学者である ラザリー・バーテル博士
が説明した.
 ロザリー・バーテル博士によれば,放射線の有害な効果に 専門家や軍の注意が
向けられたのは,戦争において 核兵器が用いられる可能性があったからである.
そうした戦争を考える人々にとっては核兵器によって どれだけ大量の敵を殺せる
かが 最大の関心事であった軍事を目的とする こうした観点に立って,核開発
の最初の段階から 放射線生物学,放射線医学,放射線防護の専門家たちが
働いてきた後になって,彼らは 発電用原子炉の問題に関係するようになった.
しかし,軍や産業の問題を解決するに当って,そのような関わり方をしてきたため,
放射線生物学,放射線医学,放射線防護の専門家たちは,放射線の有害な影響
から公衆を守るという問題に 注意が向かなかった.同時に このことは,放射線の
影響として 致死的なガン,白血病,幾つかの先天的 及び遺伝的な影響を除けば,
放射線のいかなる医学的な影響についても,国際原子力共同体が考慮を払わない
理由でもある.
 
 当然,放射線影響に関する そのような評価は認められない
チェルノブイリ事故のような 放射線の被曝を伴う事故の場合には,致死的なガンの数
だけでなく,生命そのものの全体的な状態に考慮が払われなければならない.
そしてそのことこそが,放射線から人々を守る 国際原子力共同体の基本的な役割のはずである.
 
 
 
まとめ
 
 チェルノブイリ事故と その放射線影響に関して本報告で示したことは,“国際原子力
共同体”の深刻な危機を示している.
その危機の現れとして,以下のことが認められる.
 
   “国際原子力共同体”は,長い間,チェルノブイリ事故の本当の原因を認識
   できなかった.
  ・ 彼らは,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災者状腺に対する被害を正しく
   評価できなかった.
  ・ 今日に至ってもなお,彼らは 先天的障害に関する信頼性のあるデータを
   否定している.
   チェルノブイリ事故で影響を受けた 全てカテゴリーの被災者において発病率
   増加している,という信頼性のあるデータを,彼らは受け入れられずにいる
  ・ チェルノブイリ事故放射線影響を過小評価しようとする ソ連当局の目論み
   を,“国際原子力共同体”は 長い間支持してきた
 
 
 謝辞: 本報告をまとめるにあたっての今中哲二氏のたゆまぬ関心と激励,
   ならびに トヨタ財団からの支援に深く感謝する.
   本報告の英訳また計算機原稿作成に関して ウラジーミル・M・マリコの助力を
   得たことを記し感謝する.
 
 
   ※ 2014年1月現在、今なお 
     この記事(ミハイル・V・マリコ氏の論文)は 過去のものではない。
 
              国際被曝医療協会名誉会長
              放射線影響研究所前理事長長崎大学名誉教授
              長崎大学名誉教授
                                長瀧重信 
                   平成23年7月8日 於茨城県庁舎講堂
                                                                    合掌
 
                         (おわり)
 
 
 
 
 
 

民族の住み分け~カフカス(コーカサス) 1-1

$
0
0
民族の住み分け
 
カフカス(コーカサス) 1
 コーカサス(英語: Caucasus)、カフカース(カフカス、露語 Кавказ(Kavkaz)、グルジア語:
 კავკასია、アルメニア語: Կովկաս、アゼルバイジャン語: Qafqaz
 
  黒海とカスピ海に挟まれた コーカサス山脈の南北に広がる低地(約44万k㎡)。
 : コーカサス山脈を境界として、北コーカサス と 南コーカサス に分たれ、
 全体に山がちな地形で、山あいには 様々な言語、文化、宗教をもった民族集団
  が 複雑に入り組んで暮らしており、地球上で 最も 民族的に多様な地域である
  と言われる。
 
            コーカサス山脈の衛星写真   (左は 黒海、 右は カスピ海
       ファイル:Kaukasus.jpg
                ギリシア神話では、コーカサスは 世界を支える柱のうちの一つで,
                        ゼウスプロメーテウスを鎖で繋いだ場所。
 
                  最高峰  エルブルス山(5,642m)  ☜ 地図
          エルブルス山
                  
 
 北コーカサスは ロシア連邦領の 北カフカース連邦管区に属する。
  南コーカサスは 旧ソ連から独立した アゼルバイジャンアルメニアグルジア
 
ファイル:Caucasus-ethnic ja.svg
 
 
   BC 9500年頃の金属器が発見されており、この地域には 古くから人類が住み
 ついていた。 BC 4000年頃の マイコプ文化 や BC3500-2200年の クラ・アラクセス文化
 の遺跡からは、多くの金属器(銅石器や青銅器が出土している。
 
 (古代)
  南コーカサスに アルメニア人やグルジア人のキリスト教文化が栄え、
  北コーカサスでは アゾフ海東岸・カスピ海西岸の草原地帯に  キンメリアスキタイフン
 アヴァールハザール など イラン系テュルク系遊牧民の国家が興亡した。
 山岳地帯では先住の コーカサス諸語の話し手達が居住しており、イラン系やテュルク系
 の人々と交り合って 文化的・人種的影響を受けつつ 独自で 多様な言語と文化
 を保っていた。
 
    キンメリア: BC9世紀頃に 南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族。
           ギリシア語で キンメリオイと呼ばれ、彼らの住む地域(南ウクライナ)は
                        キンメリアと呼ばれた。
 
        スキュティア人は はじめ アジアの遊牧民だったが、マッサゲタイ人に攻め悩まされ、
       アラクセス河(ヴォルガ川)を渡り キンメリア地方に移ったという。今日 スキュティア人
       の居住する地域(南ウクライナ)は、古くは キンメリア人の所属であったといわれる。
                                                                               — ヘロドトス 第4巻11
     
     スキタイ(スキュタイ):  BC8世紀~BC3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動した
           遊牧騎馬民族 および遊牧国家。
 
     フン:    370年頃に黒海北方に到来、ヴォルガ川を越えて アラン族を服従させて
                      大帝国を築いた。 彼らは 恐らく 中国の北隣に居住していた匈奴の子孫で、
                      テュルク系民族のユーラシア大陸にまたがる最初の拡張か? 
          ヨーロッパの民族大移動を誘発し、西ローマ帝国崩壊の要因となった。
 
     アヴァール:  5~9世紀に中央アジア及び 中央・東ヨーロッパで活動した遊牧民族。
          支配者は遊牧国家の君主号・カガン(khagan:可汗)を称した。
           (フンが姿を消してから約1世紀後、フンと同じく ハンガリーの地を本拠に
            一大遊牧国家を築いた)
          東ローマ帝国及び フランク王国と接触し、スラヴ諸民族の形成に大きな影響を与えた。 
 
     ハザール: 7世紀から10世紀にかけて カスピ海の北からコーカサス黒海沿いに栄えた
          遊牧民族 及び その国家。支配者層は テュルク系か? 交易活動を通じて繁栄。 
 
 
1-1 南コーカサス(ザカフカジエ、トランスコーカシア)
  ザカフカジエ、トランスコーカシア(トランスコーカサス) は、それぞれ ロシア語・ラテン語で
 ‘ コーカサス山脈の向こう側 ’の意。 ヨーロッパ、モスクワから見た呼称。
 
   ロシア、南は トルコイラン西黒海カスピ海に囲まれ、
 グルジア 西部の コルヒダ低地、 アゼルバイジャン 中東部の クラアラクス低地除けば
 山岳地で、 南部には 小カフカス山脈がある。
 
  主要言語
    アゼルバイジャン: トルコ語系アゼルバイジャン語
    グルジア: 南コーカサス語族グルジア語
  主要宗教
    アゼルバイジャン: イスラム教シーア派が多数)
    アルメニア: キリスト教アルメニア教会
    グルジア: キリスト教グルジア正教会
 
  ※ グルジアの少数民族
             民族自治区として アブハジア自治共和国アジャリヤ自治共和国南オセチア自治州
     を形成しており、アブハジアと南オセチアでは 独立運動が盛んで、グルジア政府の権力
     の及ばない事実上の独立国となっている。
    アゼルバイジャン人とアルメニア人の居住地域は 複雑に入り込んでおり、民族紛争の火種
     となっている。アゼルバイジャン国内のアルメニア人自治区である ナゴルノ・カラバフは、
     アルメニアの支援を受け、事実上の独立国。
    アゼルバイジャンは アルメニアとイランに囲まれた地域に ナヒチェヴァン自治共和国
     領有している。
     
 
 
 
                             (未完成)

夢から覚めよう、足下は奈落

$
0
0
 
 3.11福島第一原発事故は、
  国家や国連等の国際機関、& 科学(者・界)の権威を崩壊させたのである。
 
 
 
2011/05/18
  衆議院文部科学委員会 
         武田邦彦参考人の答弁
               http://www.youtube.com/watch?v=koz4DnSeIUE
 
         約11分
 
 
2011/5/31
  福島県内の学校生活に関し、文科省が専門家ヒアリング
          長瀧重信 氏
     長崎大学名誉教授/元財団法人放射線影響研究所理事長
        /国際被ばく医療協会名誉会 ­長
                 http://www.youtube.com/watch?v=A3dQJ_s70Qc 
 
          17:20
 
    ※ 福島県内で高い放射線量が計測された学校に通う子どもたち ­の学校生活に関して、
     専門家からのヒアリングを行った。これから始まるプールを中止す ­べきかどうかなど、
     被ばくと心身の発達の両面から議論がおこなわれた。
      文科省が、震災 ­後、子どもの学校生活に関してヒアリングをしたのは今回が初めてで、
     メディア関係者の ­取材のみで、一般市民には公開されなかった。
 
     ヒヤリングは他に、
      衞藤 隆氏
    (社会福祉法人恩賜財団母子愛育会日本子ども家庭総合研究所副所長兼母子保健研究 ­部長
      田中 英高氏 (日本小児心身医学会理事長)
      友添 秀則氏 (早稲田大学スポーツ科学学術院教授)
     の4名。 文科省からは、鈴木寛副大臣らが ­出席した。                                    
 
       ◇      ◇      ◇      ◇
 
   安倍首相 及び 彼を支える人たちは、
   果敢に 戦後の国際秩序に異議申し立てをしている。
   それは あたかも、昔の騎士道を自ら体現しようとして
   痩馬ロシナンテに乗って 旅に出た ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャのようである。
 
   すでに、上の如く 福島第一原発事故は、
   戦後の国際秩序を形成してきた権威を崩壊させており、
   このことに眼を覆っては、妄想に取りつかれた ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと
   何ら変わりない。
 
 
   脱原発の人々も また、豊かな市民生活を守ろうという幻想にとりつかれて、
   戦後民主主義や科学を 自己の拠り所にしているため、
   安倍首相と 根本的には変わらない。
 
   人類は、科学や民主主義なくしても、
   数万年にわたって生きてきたし、
   その間、現代の誰ももたないような 精神的な深さを達成してきた
   という事実に眼を背けていては、
 
   国の防衛や脱原発などといった
   現在の国家的 ないし人類的危機に対して、
   ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと何ら変わりないような言動とならざるを得ない。
 
   今までの夢から覚めて、
   我々の置かれた 厳しい現実に わが身を晒すこと以外に、
   打開に道は見いだせない。
   
 
   3.11福島第一原発事故は、
   国家や国連等の国際機関、& 科学(者・界)の権威を崩壊させたのである。
 
                                           合掌
 
 
 
 
 
 
                                            

民族の住み分け~カフカス(コーカサス) 1 ー1-2

$
0
0
1ー1ー1 のつづき
 
1-1 南コーカサス(ザカフカジエ、トランスコーカシア)
 
  a.少数民族の 国境をまたいだ言語
 
       インド・ヨーロッパ語族の諸言語が、その起源・ 印欧祖語から 分化と
     使用地域の拡散が始まったのは、 5,000–6,000年前黒海カスピ海北方
     (現ウクライナ)とする クルガン仮説と、8000–9500年前のアナトリア(現トルコ)とする
           アナトリア仮説がある。
      言語的資料が増えた紀元前後の時代には、既に ヨーロッパから アジアまで
     この語族の話者は 広く分布していた。
 
            BC18世紀頃 小アジアで興隆した ヒッタイト帝国の残した ヒッタイト語楔形文字
        で書かれた ヒッタイト語アナトリア語派)の粘土板文書、 驚くほど正確な伝承
     を誇る ヴェーダ語サンスクリット語の古形。インド語派)による『リグ・ヴェーダ』、
     BC1400‐BC1200年頃のものとされる 線文字B で綴られた ミケーネ・ギリシャ語 
     (ギリシア語派)のミュケナイ文書など・・・、紀元前1000年を 遥かに遡る資料から
     始って、現在の英独仏露語などの 約3,500年ほどの長い伝統を この語族
     はもっている。
     これほど地理的・歴史的に豊かなで 変化に富む資料をもつ語族はない。
 
       参考: ヤンガードリアス期(寒冷化)
           最終氷期が終わり 温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った時期で、
          現在から 1万2900~1万1500年前にかけて北半球の高緯度で起こった。
          この変化は 数十年の期間で起きたとされる(約10年間に約7.7℃以上 下降)。
            → BC 9,000年頃 農耕の開始
           農耕の開始と同時期に牧畜も開始され、磨製石器が作られた(新石器時代)。 
              
             縄文海進
           約19,000年前から 発生した海水面の上昇。縄文時代前期の約6,000年前
                      にピークを迎え、海面が今より 2~3m高かったとされる日本列島の海に面した
                      平野部は 深くまで 海が入り込んでおり、気候は 現在より 温暖・湿潤で年平均で
                      1~2℃気温が高かった。
           それまで、針葉樹林が日本列島を覆っていたが、西南日本から太平洋沿岸
           伝いに落葉広葉樹林が増加し拡がっていき、北海道を除いて 列島の多くが
           落葉広葉樹林と照葉樹林で覆われ、コナラ亜属やブナ属、クリ属など堅果類が
           繁茂するようになった。また、温暖化による植生の変化は、マンモストナカイ
           、ナウマンゾウオオツノジカなどの大型哺乳動物の生息環境を悪化させ、
           約1万年前までには これらの大型哺乳動物が ほぼ絶滅した。
 
                        世界的には、海面は 年間1~2㎝の速度で上昇し、場所によっては上昇は
          100mに達した。しかし、この現象が見られるのは氷床から遠い地域だけであり、
          氷床のあった北欧などでは、厚さ数1000mに及んだ氷床が解け重みがなくな
          って 海面上昇速度以上に 陸地が隆起した。
 
 
    アルメニア語
     アルメニア公用語で、表記には 独自の アルメニア文字が用いられる。
    母語話者: 700万人 ( アルメニア人は 多くが 多くの国々に離散しているため、
        アルメニア語話者の総数は ハッキリと つかめていない )
 
     歴史の流れの中で、沢山の語彙を ペルシャ語、次いで ギリシャ語(6世紀)、
    トルコ語11世紀)、フランス語十字軍の時代から現代まで)、ラテン語16~18世紀)、
    そして ロシア語(現代)から借用してきた。
     特に インド・イラン語派イラン語群 の ペルシャ語からの借用語が多い。
 
     ※ BC1世紀 アルメニア高原を中心に 大アルメニア王国を築き繁栄した。
               しかし、ローマ帝国 パルティア、 サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、
       両国の緩衝地帯として 時に 属州となることもあった。
 
                   1世紀頃 キリスト教が伝わり十二使徒聖 タデヴォス、聖 バルトゥロメウス が伝道、
        殉教した)、2世紀には アルメニア高地の各地に キリスト教徒が かなりの数に
       上った。 301年 世界で 初めて キリスト教国教とした 
 
     古アルメニア語: 405/406年、アルメニア文字メスロプ・マシュトツ(361–440)により
       創始され、文学、神学、歴史学、詩学、神秘学、叙事詩に 豊かな成果
       を残した。
           中世アルメニア語(11~17世紀): トルコ南東部のキリキアキリキア・アルメニア王国
        (11981375) が存在していた。                              ファイル:Armenianmeds.gif
 
 
           現代アルメニア語には、 2つの方言がある。
        東アルメニア語 - アルメニア共和国公用語(約300万人)。また イラン国内の
            アルメニア人の共同体で話されている。
        西アルメニア語 - キリキア・アルメニア王国時代に形成され始めた キリキア方言
            が 時代と伴に変遷して、主に 国外移住した アルメニア人によって
            話されている。
 
          ※ サーサーン朝ペルシアの支配下に入り、更に アラブの侵攻を受ける
                        が9世紀半ばに バグラト朝が興り 独立を回復。
                しかし、バグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝モンゴル ・ ティムール朝
             などの侵入が相次いで 国土が荒廃。このため 10世紀に 多くの
           アルメニア人が 故国を捨てる
           1636年  オスマン帝国 と サファヴィー朝ペルシア に分割統治され、
             第二次ロシア・ペルシア戦争(1826-28)での トルコマンチャーイ条約により、
           ペルシア領アルメニアは ロシア領となる。
           19世紀後半 オスマン支配の下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、
           トルコ民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで 多くの
           アルメニア人が虐殺され、生き残ったアルメニア人も 多くは 欧米に移住
           するか ロシア領に逃げ込んだ。
              
                  第一次世界大戦前の1911年の地図
               小アジア (ASIA MINOR) は 現在のトルコ西部から中部に書かれており、
               東部にはアルメニア (ARMENIA) と書かれている。
 
 
        アルメニアの地図-Yahoo!地図
     ファイル:Am-map1.png
        北側に 小コーカサス山脈 と 西側には アルメニア高地が広がり、国土の90%が
       標高1000~3000mの山国で、トルコとの国境を流れるアラス川の左岸に広がる。
       国内最大の平地は、アララト山(「ノアの方舟」で有名、高さ 5165m)を見上げる首都
       エレバンがある アララト盆地(高度は800m以上)。
        一万年前から人が居住していたことが考古学的発掘で知られている。
       中央部に セヴァン湖(標高1900m、深さ 36~80mの淡水湖)があり、急流となった
       小規模な河川が多い。森林は 国土の15%で、可耕地は 17%、牧草地は 30%、
       乾燥不毛地は 18%を占める。
                隣国のトルコやイラン同様、地震が多く、1988年に発生した アルメニア地震では
       死者 2万5000人。
                鉱物資源に富み、鉄鉱石、アルミニュームの原料、最南部で 銅、亜鉛、モリブデンを
       産し、南部のシェニーク地方で ウラン鉱床も確認されている。石灰岩は全国に分布。
 
         アルメニアは エネルギー資源を産出せず、地域紛争で近隣諸国から孤立している
        ことから 国内電力需要の40%以上を老朽化したメツァモール原発に頼っている。
        1988年のアルメニア地震後、独立後の1995年まで 6年半 閉鎖されたが、その間 
        深刻な電力不足に陥った。 この原発は ロシア型加圧水型原子炉440で 格納容器
                  を持たず、既に 設計寿命を終えており、世界で最も危険な原発(2号機)と言われる。
         ロシア型加圧水型原子炉1000を建設中。
           
                 日本 アルメニア 友好協会
 
         トルコとは、第一次世界大戦末期 100~150万人が犠牲になったとされる
         アルメニア人虐殺問題を巡って対立しており、アゼルバイジャンとは 一部地域
                   (ナゴルノ・カラバフ)を巡って 泥沼の対立状態にある。
         石油資の豊富なアゼルバイジャンとの対立には 多くの国防費を要し、国家予算
         に占める軍事費の割合は6.5%で世界第8位。
          2009年10月 トルコと歴史的な和解を見せるが、いまだ トルコへの敵対心は
         強く、本格的な和解まで まだ時間がかかりそうである。
 
 
                                                       (未完成)

民族の住み分け~カフカス(コーカサス) 1-1ー3

$
0
0
1-1-2のつづき
 
1-1 南コーカサス(ザカフカジエ、トランスコーカシア)
 
  a.少数民族の 国境をまたいだ言語
  
  ハ.トルコ語系 (テュルク諸語/突厥 諸語
      中央アジア全体 や モンゴル高原以西のアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパ
     シベリアに至る広大な地域で話される。
 
      本来 テュルク諸語を話す人々は 中央アジア・モンゴル高原から シベリアの辺り
     を祖地とするか? 分布が テュルク諸語と隣接するモンゴル諸語ツングース諸語
      とは 幾つかの言語の特徴を共有しており、テュルク諸語と合せて アルタイ諸語
           と言われる。アルタイ諸語の相互の系統関係は 不明。
  
       ※ 日本語と同じく、目的語や述語に助詞や活用語尾が付着する膠着語で、
        母音調和を行うことを特徴とする。
                  文の語順も 基本的に日本語に近く 主語‐目的語‐述語になる言語が多い。
         日本語と朝鮮語の2つもアルタイ諸語に含めることがある。 ただ、その近縁性は
        たしかに認められたとまでは言えず、定説には至っていない。
        上記特徴のうち、母音調和だけは 日本語と朝鮮語が欠いているものだが、朝鮮語
        については過去に明らかな母音調和があったことが知られている。 また、日本語
        についても、過去に母音調和を行っていた痕跡が見られるとする主張もある。
 
      
      テュルク各語群内では言語間の共通性が大きく、意思疎通は容易である
      と言われる。その分布の広大さに比べて 言語間の差異は比較的小さく、
      テュルク諸語全体を一つの言語、「テュルク語」と見なし、各言語を「テュルク語の
      方言」とする立場もありうる
      特に 3語群 (オグズ語群キプチャク語群カルルク・テュルク語群)の話し手は
     イスラム教を受け入れた結果、アラビア語ペルシア語から多くの語彙を取り入れ
     ているため、語彙上の共通性が大きい。
      また、政治的経緯から、トルコ語を除く諸言語は ロシア語からの借用語も
     非常に多い。
 
       ※ 現在のブルガリア語は スラブ化した言語だが、ブルガリア人の先祖である
          ブルガール人は、バルカン半島にやって来るまでは、ブルガール語派(テュルク古語)
         を話すテュルク系民族だった。なお、経緯は全く異なるが、オスマン帝国支配を受けた
         経緯で、ブルガリア語にはトルコ語の語彙も多く取り入れられている。
   ファイル:東西突厥帝国.png
                 7世紀初めの東西突厥可汗国
     トルコ系遊牧民のうち、アルタイ山脈の西南にいた人々は、初め 柔然に服属していたが、
    6世紀の中頃から強大となり、柔然を滅ぼして、モンゴル高原に トルコ人による統一国家
    を建てた(突厥 トッケツ、トルコ語のテュルクの音訳)。
                 ※ 突厥以外のトルコ系民族は、中国では 鉄勒と言われた

     遊牧国家の君主は ハガン(可汗)の称号を用いるが、柔然の王が初めて用いたとされ、

    突厥の君主も この称号を用いた。

          突厥の建国は 伊利(イリ)可汗(552~53)。その3代、木杆(モクカン)可汗(?~572)の時、
    ササン朝のホスロー1世と同盟して エフタル(5~6Cに中央アジアで活躍した遊牧騎馬民族)
    を滅ぼし(566)、東は 満州から 西は 中央アジアにまたがる大帝国となる。シルク・ロードを
    押さえて巨利を得て栄えたが、6世紀末 内紛が起こり、当時 成立したばかりの 隋の文帝
         の離間政策にあい、突厥は モンゴル高原の東突厥と中央アジアの西突厥とに分裂 (583)。
       東突厥は 隋に朝貢することとなり、その後も 内紛が続いたが、7世紀初めの隋末の混乱
    に乗じて、再び勢いを取り戻した。しかし、630年に唐に滅ぼされた。 
    
 
   文字の変遷言語とその表記が、時代と場所によって異なる
 
    ソグド文字: 碑文から 佗鉢可汗(在位:572 - 81)時代の突厥の公用語は
           ソグド文字ソグド語であった。
    古テュルク文字: テュルク諸語最古の文献は、第二可汗国時代の686年から
           687年頃に建てられたチョイレン銘文。 古テュルク文字(テュルク・ルーン
           文字、突厥文字)で書かれた。その他の突厥碑文は、モンゴル高原
           の各所に残る。 745年に突厥を滅ぼした ウイグル古テュルク文字を
           受け継いだ。
    ウイグル文字: モンゴル高原から中央アジア移住した後、8世紀にはソグド文字
           を改良したウイグル文字を使用し、天山ウイグル王国(856 - 13C)
           の公用語となった。
           ウイグル文字からは 契丹文字(10世紀)や モンゴル文字(13世紀)等
           が派生し、さらに モンゴル文字から 満州文字(1599年)が派生した
           が、いずれも モンゴル諸語に用いられた。
 
          アラム系の文字であった ソグド文字の草書体から派生したとみられ、
           フェニキア文字に遡るアルファベットのグループにおいて、ギリシア文字やラテン文字の文章
           と異なり、アラム文字やその系統に属するソグド文字は、現行の ヘブライ文字や
           アラビア文字などと同様に、文字を右から左へ書く。
 
    アラビア文字: イスラム教を受け入れた カラハン朝840 - 1211ではアラビア文字 
         で テュルク語を書き取るようになり、『クタドゥグ・ビリグ』などの文学作品が
         著された。 その後、イスラム教の浸透とともに アラビア文字による表記は
         広く用いられるようになり、中央アジアでは チャガタイ語アナトリアでは
         オスマン語それぞれアラビア語・ペルシア語の要素を取り入れた典雅な
         文章語として発展。
 
         ※ カラ・ハン国の時代以降、中央アジアの定住民の多くは もともと話していた
            東イラン諸語など インド・イラン語派の言語に代って テュルク諸語に属する
            言葉を母語とするようになり、特に シルダリヤ川以東の地域は 「トルキスタン
                           と呼ばれるようになった。また後の 東トルキスタン新疆ウイグル自治区)に当る
            タリム盆地と その周辺域のイスラム化に関しても 大きな役割を果たした。
             最初に イスラム教に改宗した伝説的な君主 サトゥク・ボグラ・ハン(? ~993)
            は トルキスタンの各地で聖者とみなされ、現在に至るまで深く尊崇されている
 
             カラ・ハン国による イスラム化 と マーワラーアンナフル の征服を通して、サーマーン朝で
           アラブ・イスラム文化 と ペルシア文化が結びついて成熟したペルシア・イスラム文化が
           流入し すぐれた都市文化が栄え、イラン・中央アジア各地に定着した。
           さらに 「カラハン朝トルコ語」と呼ばれる アラビア文字を使って記される テュルク語
           の文語が生まれて、テュルク・イスラム文化と呼ぶべき独自の文化を誕生させた。
       
     ラテン文字・キリル文字・アラビア文字:
          20世紀に入ると文章語の簡略化が進められ、各地の口語を基礎
         とし、ラテン文字キリル文字で書き表される新しい文章語が生まれた。
         しかし、依然として イラン などでは アラビア文字が使用されており、
         中国では 一度 ラテン文字化進められた テュルク系諸言語が1980年代
         に アラビア文字表記に戻されたので、現代テュルク諸語を表記する文字
         は 大きく分けて 3つ存在することになる。
          ソ連崩壊後、旧ソ連テュルク諸語ではキリル文字からラテン文字へ移行
         する動きが見られる(アゼルバイジャン語トルクメン語ウズベク語など)。
         ロシアのタタール語なども ラテン文字への移行を目指しているが、ロシア政府
         の介入によって ラテン文字の公的使用は制限されている。
 
 
 
                         アゼルバイジャンの周辺地図-Yahoo!地図
                             アゼルバイジャンの地図
 
     アゼルバイジャン共和国の公用語。 
     トルコ語 トルクメン語と同じ テュルク諸語の南西語群(オグズ語群)に属し、
    イラン北西部にも 多くの話者がおり、単に トルコ語とも呼ばれる。
    他に、グルジアアルメニアイラク北部、トルコロシア連邦内のダゲスタン共和国など
    にも話者が分布する。話者総数は約4000万人
 
      ※ トルクメン語 や トルコ語との 互いの意思疎通は容易。
 
     語彙や文法において ロシア語ペルシア語の影響も大きい。
 
     主に アゼルバイジャン共和国で話される 北部方言(話者数 610万人)と
    イランなどで話される 南部方言(イラン国内話者数 1550万人)に大別され、
    それぞれに 多くの下位方言が認められる。
 
      イラン人口に占めるアゼルバイジャン人の割合は25%を占め、アゼルバイジャン共和国内
      のアゼルバイジャン人人口をはるかに上回る。
 
     アゼルバイジャン共和国では 1929年ラテン文字による表記が導入された。
    さらに 1940年以降、キリル文字を元にした正書法に改められたが、1991年
    再び ラテン文字による 新しい正書法が制定され、移行期間を経て 2003年
           1月 キリル文字による表記は廃止された。
     イランでは 現在も アラビア文字を用いて表記されている。 
 
 
 
       11世紀以降中央アジアから移住してきた外来のテュルク系民族と土着の
     ペルシャ人イラン人)、クルド人アルメニア人カフカス系諸民族やアラブ系などとの
     混血したことによって形成され、さらに 14~15世紀にかけ モンゴル帝国及び
      ティムール朝支配の下、言語的・文化的に テュルク化の影響を多く受けて形成
     された民族集団。
 
   ※ アゼルバイジャン人はクルド人と同様、中東の 複数の地域にまたがって居住
    しており、特に イラン国内では、アゼルバイジャン人が  ペルシャ人に次ぐ 多数派
    (25%)を形成していることから、これまで これらの地域に アゼルバイジャン人
    主導の統一国家を樹立する試みが幾度となく行われてきた
     しかしながら、現在の所 イラン国内における アゼルバイジャン人の独立運動は
    沈静化し、アゼルバイジャン人の主導する国家は アゼルバイジャン共和国のみと
    なっている。
 
     イランのアゼルバイジャン人著名人
     ・ファラ・パフラヴィー (パフラヴィー朝第2代皇帝 モハンマド・レザー・パフラヴィー
          の妻。 なお、初代皇帝 レザー・シャーの妻も アゼルバイジャン系
     ・アリー・ハーメネイーイランの第2代最高指導者
     ・ミール・ホセイン・ムーサヴィーイラン元首相
 
    ※ アゼルバイジャン人の多くは イスラム教シーア派十二イマーム派)であるが、これは
    16世紀現在のイラン 及びアゼルバイジャン中心とした地域を支配したサファヴィー朝
     の影響によるもので、ペルシア人において十二イマーム派が多数であるのと同様
    の歴史的経緯による。
     アゼルバイジャン共和国では、トルコと同様に 長らく世俗主義が推し進められた
    結果、世俗化が 国民生活 レベルまで浸透しており、毎日の祈りやラマダンを
         はじめとした イスラム教の戒律は 比較的ゆるやかで、飲酒や女性の服装も
    自由な傾向にある。
 
 
 
         ・ 図録イランの民族別人口構成
         イランというと ペルシャ人の国というイメージが大きいが、総人口7,000万人に
        占めるペルシャ人の割合は約半分とそう多くない。
         最大の少数民族は アゼリ人 (自らはトルコ人と呼ぶ) であり、総人口の24%と
        約4分の1を占めている(2008)。首都テヘランでは ペルシャ人と 人口をほぼ二分
        するという。宗教は イランの国教イスラム教シーア派であり、ペルシャ人とは婚姻
        関係を含め融合が進み、政治・経済分野に深く浸透している(毎日新聞2008.5.6)。

         シーア派に改宗した トルコ系(テュルク系)民族であるアゼリ人は イラン北のバクー油田
        を有する アゼルバイジャン共和国(人口800万人)では 9割の多数派民族となっている。
        人口では 独立国家内のアゼリ人より多い イラン国内のアゼリ人との大アゼルバイジャン
         主義が唱えられることが多く、石油利権もからみ、かつては ソ連、現在は イランを
        牽制しようとする米国が 大アゼルバイジャン主義を バックアップしているが、当の
        イラン国内のアゼル人は ペルシャ人と宗派も一つであり、イランの政治経済における
        地位も低くないため、これには余り熱心でないという。

         大アゼルバイジャン主義が 国内に波及することを懸念するイランは、独立後の
        アゼルバイジャン共和国が、ナヒチェバン や ナゴルノ・カラバフの領有を巡り アルメニア
        と 2年半に及ぶ 「宣戦布告なき全面戦争」 に突入した時、同じイスラム教シーア派
        のアゼルバイジャンを支援せず、キリスト教徒のアルメニアを援助した。
          

         アゼリ人の地位が高いため やっかむペルシャ人もあり、「 アゼリ人についての
        ブラックジョークは 際限がないほどだ。 「アゼリ人兵士が パラシュートでの降下訓練
        に臨んだ。が、パラシュートが開かない。落下する兵士がつぶやいた。・・・
 
                    &nb
Viewing all 1047 articles
Browse latest View live