1-1-3 のつづき
1-2 北コーカサス(北カフカス)
コーカサス地方のうち 大コーカサス山脈より 北に広がる部分で、黒海と カスピ海に
挟まれた山がちな地である。
ヨーロッパ側・ ロシア側から見ると 「 コーカサス山脈のこちら側 」にあたるため、
英語では シスコーカサス(Ciscaucasus)、シスコーカシア(Ciscaucasia)とも呼ばれる。
地理的には、北コーカサスという語は 大コーカサス山脈の北斜面と西端部(ロシア・
グルジア国境のプソウ川より西の、山脈南側も含む)を指す。
コーカサス山脈の北方に広がる 広大な ステップ地帯も 北コーカサスに含まれ、
マヌィチ川により構成される湿地や縁故の多い低地)とされ、これより 北のステップは
東ヨーロッパ平原に含まれる。
グルジア と アゼルバイジャンの一部が 北コーカサスに属するが、大部分は ロシア連邦領
である( 北カフカース連邦管区、2010年 南部連邦管区より分離 )。
行政府所在地は スタヴロポリ地方のピャチゴルスク。
人口: 893万3889人(2002年国勢調査)
内、ロシア民族は、298万8070人(33.45%)
言語や宗教をもった民族集団が入り組んでおり、これが 政治的不安定さにも
繋がっている。
これらの民族の間に、17世紀以降 コサックを先頭にして ロシア帝国が南下を
始め、19世紀には オスマン帝国の影響は排除されて、北コーカサスは ロシア帝国に
併合されたが、 ロシア化に抵抗する諸民族との戦争(コーカサス戦争)は ロシアを
大いに苦しめた。
チェルケス人など 北コーカサスの民族の中には ロシアの支配を逃れて オスマン帝国
へ移住したものも多く、現在も旧オスマン領 シリアやヨルダン等には 北コーカサス系民族
の末裔が多く住む。
1991年12月のソ連崩壊後、 南コーカサスでは グルジア、アゼルバイジャン、アルメニアの
各共和国が独立したが、北コーカサスにあった諸々の自治共和国(チェチェン・イングーシ
など)は ロシアからの独立を認められなかった。
北コーカサスで起こり、独立運動組織 コーカサス戦線の他 イスラム原理主義に基づく
も戦闘を続けている。
2010年10月号
・・・ いずれにせよ、二つの民族集団(チェチェン人とチェルケス人)がロシアに対して長く反発
してきたのは事実だ。1860年代 ツァーリは、反乱のやまない地域の人口を減らそうと、
ひしめき合う馬車その他に人々を押し込んで、40万ものチェルケス人を主にオスマン帝国
へと追放する強制移住策をとり、その途上で数千人が命を落とす事件が起きている。
だが結局の所、イスラム諸国同様に、北カフカスの場合も現地における群衆動員と
だが結局の所、イスラム諸国同様に、北カフカスの場合も現地における群衆動員と
社会暴力の主要な要因を ナショナリズムに求めるのは無理がある。実際、イングーシ人
は 乱暴な チェチェン人と民族的に近いが、より敬虔で物静かだし、イデオロギーやナショナリズム
志向は弱いと考えられてきた。 だが、そのイングーシが 今や この地域でもっとも危険
な共和国と化している。
似たような不満を抱きつつも、ソビエトの崩壊を前に各民族集団は異なる反応をみせた。
似たような不満を抱きつつも、ソビエトの崩壊を前に各民族集団は異なる反応をみせた。
チェルケス人は状況を静観したが、チェチェン人は 銃を手に独立を目指した。近年、
チェルケス人のナショナリズムは高まりをみせているが、その目的は分離独立を目指す
ことでもなければ、武器に頼ることでもない。むしろ、チェルケス人のナショナリズムは、
「ロシア人は征服の途上でチェルケス人を大量虐殺した」と考えていることに派生して
いる。
チェルケス人とチェルケス人ディアスポラの多くは、この事実が国際的に忘れ去られて
チェルケス人とチェルケス人ディアスポラの多くは、この事実が国際的に忘れ去られて
いると考えている。
2014年に冬季オリンピックが開催されるのは、ロシアとの攻防戦でツァーリの軍隊
2014年に冬季オリンピックが開催されるのは、ロシアとの攻防戦でツァーリの軍隊
との最後の戦闘が戦われた黒海沿岸の港町・ソチにおいてだ。チェルケスのナショナリスト
たちは、オリンピック開催を利用して、この歴史問題への世界の関心と認識を高めたい
と考えている。・・・
2011.03.13
2014.1.15

1.ダゲスタン共和国
面積: 50,300km2 人口: 2,576,531人(2002)
首都:マハチカラ、
国名は トルコ語で山を意味する"dağ"に、ペルシャ語の地名の接尾辞"-stān"
(スターン)が付いて、「山が多い場所」を意味する。
山岳地帯が 人々の自由な行き来を妨げたため、非常に多様な民族が混在し
今でも部族的な生活を送っている。 住民のほとんどは ムスリム。
主要民族 (人口割合)
・クムイク人(12%)、 ノガイ人(8%) (以上 テュルク系民族)
・アゼルバイジャン人(4%)、ロシア人(3.2%)
コーカサス諸語(カフカース諸語)
に属する約40種の言語の総称。
この3つの語族が 一語族を成すかどうかは 古くから論じられてきたが、
未だ結論を見ていない。しかし、北東コーカサス語族と北西コーカサス語族との間
には、系統的な関係があるとする見方が有力。
とも類縁関係が見られない孤立した言語で、話者は 約500~600万人
( 内 グルジア語が約400万人)。

それぞれの民族集団は、自らの民族の利害を第一義的に考えており、
それを守るためなら、武器を手にして戦うことをためらわない。このため、
全てのグループが武装している。
北コーカサス の武力衝突の大部分は 現在、ダゲスタンで発生している。ロシア
の人権団体がまとめた、2012年4-6月の この地域での紛争の犠牲者総数
は約360名、ダゲスタンの犠牲者が半数を超す。これらの犠牲者には、ロシア側
の治安部隊、対抗する イスラーム武装集団の参加者、戦闘に巻き込まれた
一般住民が含まれる。
レスギン人は ダゲスタン南部とアゼルバイジャン北部に居住し、公然と分離独立
して 自らの共和国を樹立する思惑を語っている。
アゼルバイジャンの急進的な レスギン人は、独立闘争を行い、地域組織「サドワル」
アゼルバイジャンの急進的な レスギン人は、独立闘争を行い、地域組織「サドワル」
を結成している。
ダゲスタン共和国で自爆テロ | ロシアNOW 2012年8月29日
ロシア南部のダゲスタン共和国で28日、多くの住民にイスラム教の指導者として
あがめられ、1万人以上の信者を抱えていた サイード・アファンジ・アリ・チルカウィ師
(74)が、自爆テロの攻撃を受け即死した。このテロは、イスラム教の異なる宗派の間
で進められていた和解を、妨害しようとして行われたとの説もある。アリ・チルカウィ師
は積極的に和解の必要性を主張していた。 ・・・
ダゲスタン出身のリズバン・クルバノフ下院(国家会議)議員は、哀悼の意を表した。
「 アリ・チルカウィ師は、共和国に住む多くの人にとって精神的指導者だった。この死
は恐ろしく、取り返しのつかない損失だ」。
クルバノフ議員によると、師は議員との会話のなかで次のように語っていたという。
「 もし 私の家に、私を殺そうと誰かが侵入してきても騒ぎはしない。私がその人間の
血に対して、あの世で責任を負うわけではない。その人間が私の血に対して責めを
負うのだから」。
また師は、自爆テロの犯人たちについて、こう述べていたという。「そのような人々は、
天国に行けると思っているが、天国の果てにだって近寄ることはできないし、その芳香
すら感じることはできない 」。・・・
連続爆発で16人負傷 ロシア南部ダゲスタン - 産経ニュース 2014年1月18日
ロシア南部ダゲスタン共和国の首都 マハチカラで17日、レストラン2階と近くで
駐車中の車の2カ所で 連続爆発があり、警察官を含む16人が負傷した。同共和国
は ソチ冬季五輪の妨害を宣言したイスラム過激派の活動拠点。ロシア治安当局者
は 地元犯罪グループ間の抗争が背景とみられるとしている。ロシア通信などが報じた。
レストランの2階で 何者かが手榴弾のようなものを投げつけて最初の爆発が発生。
警察官が駆けつけた約15分後には、レストラン前に止まっていた車が爆発した。
同共和国の当局者によると、今月27日に予定されている同共和国内でのソチ五輪
の聖火リレー計画は 当初予定より 大幅縮小され、中部の都市 カスピースク のサッカー場内
だけで行う考えを明らかにしている。(共同)
アヴァール人
人口 約104万人(2002)
内ロシア連邦 81万5千人。大部分は ダゲスタン共和国の山間部に住む。
グルジア、トルコにも住む。
5世紀カフカースに建国されたキリスト教国サリル(5C-12C)が現代アヴァール人
の先祖と伝えられる(サーサーン朝ペルシアにより創設されたともいう)。
7世紀 ハザール とイスラム帝国との戦いでは ハザール側についたが、
9世紀には グルジアなど近隣のキリスト教国と結びハザールと争った。
今も 10世紀の教会遺跡が残っている。
12世紀初頭 サリル滅亡。
13世紀 イスラームを奉ずる アヴァール・ハン国が成立、北のキプチャク・ハン国と同盟
して栄えた。
アヴァール・ハン国は 19世紀まで続いたが、ロシアの南下政策で アヴァール人や
1864年 ロシアによる コーカサス征服完了。
(シャミール投降後、西部ではなおも コーカサスの先住民チェルケス人が抵抗運動を続け、
チェルケス人虐殺が行われた。さらに戦後、西部のムスリム住民を中心にオスマン帝国
への人口移動が行われた)
アヴァール人の一部は トルコへ逃れ 人口は減ったが、その後も ダゲスタンの
主要民族であり続けた。
第二次大戦後は 山間部からカスピ海沿岸に移住する人が多くなった。
⋆ シャミール(1797 - 1871)は、今も北カフカースのムスリムの尊敬を集めており、
現在も続く ロシアの支配に対する抵抗運動の精神的な支柱となっている。
平成24年4月10日
(つづく)